●旧法党 きゅうほうとう
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【意味】北宋朝保守派の首領司馬光系に属するとみなされた官僚達。伝統的政治理念の墨守に浸り,時局の打開策をもたず,ただ王安石に反対するのみであった。カンキ※注1※・欧陽修・富弼ら保守派の元老達も政界を引退した。【元祐以後の旧法党】神宗・王安石が没すると司馬光が宣仁大后に起用されて返り咲き,旧法党全盛時代をつくった(元祐の更化)。次の徽宗時代にはしばらく新旧両党の協調もみられたが(建中靖国のころ),徽宗の親政期になると蔡京を首領とする新法党全盛期をつくり(→元祐党籍碑),北宋は国論分裂のまま滅亡した。
【南宋朝の旧法党】南宋の高祖は哲宗の皇后であった隆祐皇太后(旧法党系)を迎えて政権の正当化に利用し,母のごとく仕えた。この皇太后の請いで神宗・哲宗朝の実録が旧法党の学者で書かれたことはのちの王安石評に決定的影響を与えた。
〔参考文献〕東一夫『王安石新法の研究』1970,風間書房
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