●裘甫 きゅうほ
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?〜860 中国,唐末の859〜860年(大中13〜咸通1)に浙東(浙江省)でおこった反乱の指導者。浙東の人。仇甫とも書く。文宗(在位826〜840,宝暦2〜開成5)のころから,江南地方では塩賊・茶賊が発生し,塩商・茶商も相当の大資本を蓄積するようになり,没落した無産・流亡の貧農大衆が多数輩出していた。宣宗(在位846〜859,会昌6〜大中13)時代には塩の専売収入は減少し,唐朝の財政はきわめて困難となった。江南は重要な財源地であったが,唐朝はこの地の民衆に対して重税をかけ,藩帥は栄達のため搾取を加えたので,農民はさらに流亡・群盗化し,藩鎮配下の軍人の反乱も続発した。こうした唐朝の激しい収奪と江南地方の軍事的支配力の弱化のなかでおこったのが裘甫の反乱である。859年(大中13),浙東の東海岸に蜂起し,象山県(浙江省象山県)をおとしたころは100人たらずの小勢力であったが,860年(咸通1)「タンケン※注1※」を攻めおとしたときは数千人に発展し,ここを根拠地として浙東の唐軍を粉砕した。この形勢に各地から群盗や没落農民たちが参加し,たちまち3万人に達した。裘甫自らは天下都知兵馬使と称し,リュウオウ※注2※を副使として羅平(らへい)と年号を定め,唐興(天台)・上虞・余姚・慈渓・奉化・寧海などの諸県を支配下に入れた。唐朝は王式を浙東観察使に任じ,大軍をもって鎮圧にあたらせ,江淮にいた吐蕃(とばん)・ウイグルも騎兵として参加した。反乱軍は郷村との結合,富商・地主層の十分な協力を得られないまま,地域的・階層的に孤立してしまった。約7カ月の激しい抵抗が行われ,タンケン※注1※での最後の戦いでは,3日で83戦,女軍も守城に奮戦した。860年(咸通1)7月ついに力つきて降伏し,裘甫は都に送られて8月に斬罪に処された。裘甫の反乱は,唐末に発生した大農民反乱の王仙芝の乱・黄巣の乱の先駆をなすものであった。
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