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●救貧法 きゅうひんほう

ヨーロッパ 英国 AD 

貧民救済は社会全体の責任という思想は原始キリスト教以来のものであるが、中世イギリスでは教会・修道院・ギルドなどの仕事との考えが定着。チューダー王朝期、エンクロージャーの盛行により乞食・浮浪人が増加、エリザベス1世治下の1563年以降、部分的な救貧法がしきりに制定された。救貧税を徴収しての教区救貧が制度化され、1601年に統合された救貧法制定。浮浪の禁止、政府が職を与えることを規定。徒弟条令ともども帰農強制、都市工業保護のための労働規制の側面も強い。のち教区救貧の原則が崩れ、救貧院設置や院外救貧なども始まり、スピーナムランド制は低賃金の補充的役割を果たすにいたった。1834年、改正議会は救貧法改正可決、スピーナムランド制は廃止された。work houseのなかでのみ給付を与え、労働能力保有者の自助を強制した。1871年、地方行政法の改正により救貧は公共扶助の一環となり、20世紀初めより養老年金失業保険国民保険法が制定されて社会問題は国と国民の問題となり、1946年国民保険法はこれら諸制度を統合して“ゆりかごから墓場まで”最低生活を保障することになった。この法によっても保護を受けられない生活困窮者や浮浪児を扶助するため、1948年に国民扶助法児童法がつくられ、救貧は結局近代的社会保障制度の一環となっている。