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●救貧制度 きゅうひんせいど

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 救貧法・救貧施設などを含む社会貧民救済制度をさす。730年(天平2),孤児・病者を養う悲田院とともに施薬院が光明皇后の皇后職におかれている。その前に養老,神亀,天平にかけて僧行基が救貧事業を行っている。これは仏教慈善事業とつながりが強い。16世紀末〜17世紀にかけてキリシタンの盛んなころ,救癩・孤児院・病院づくりがすすんだこともあった。しかし農民救済制度としては災害・飢饉に対する荒政・常平倉・囲籾のごとき備荒貯蓄,古くは出挙のごときものの義倉などがそのなかに含まれる。

 近代国家形成期の明治になって1874年(明治7)に恤救規則,1880年に備荒儲蓄法で法制化し,さらに地方制度のなかで貧民救助条例,政府による職工条例などがあり,それが本格化するのは大正期で1916年(大正5)の工場法施行によってである。以来さまざまな法が制定されている。1921年の職業紹介法,さらに大都市日雇労働者救済事業の実施など画期的な事業である。