●旧石器時代 きゅうせっきじだい
AD
人類が石器文化をもち,中石器時代にいたるまでの時代を総称して旧石器時代と呼んでいる。かつてJ.ラボックにより磨製石器を伴わない石器時代であると定義されたが,後期旧石器時代からすでに東ヨーロッパ,オーストラリア,日本ほかで局部磨製石器がみられ,現在ではあてはまらない。時代区分は一般に,猿人および原人の時代(約200〜300万年前〜約8万年前)を前期旧石器時代,旧人(ネアンデルタール人)の時代(約8万年前〜約3万5,000年前)を中期旧石器時代,新人が出現し中石器時代にいたるまでの時代(約3万5,000年前〜約1万年前)を後期旧石器時代と呼んでいる。アフリカにおける最古の石器群として著名なのは,東アフリカ,南アフリカに分布するオルドヴァイ文化であり,これは,河原石の一端を打ちかいて刃部を作り出した礫器を主体とした石器文化であり,約180万年前までさかのぼれる。この文化を残した人類は猿人あるいは猿人より進化したホモハビリスといわれている。ケニアのトゥルカナ湖東岸ほかでは,オルドヴァイ文化よりも古い時代の石器文化が発見され,その年代は260万年前にもさかのぼる。続く原人段階になると石器全面に加工が及んだ西洋梨形の握斧を主体としたアシュール文化が現れる。アフリカでは,この握斧文化が礫器文化と同時代に共存し,前者を原人が,後者を原人と共存していた猿人が残したとする説や,異なる二つの仕事を行っていたとする説がある。ヨーロッパではフランスのヴァロネ洞穴で約120万年前の礫器文化がみられ,続いてアフリカ同様の握斧文化もみられる。この時代フランスのテラ=アマータ遺跡では,季節ごとに到来し,そこを拠点として狩猟や採集が行われたとされており,魚骨の出土もみられる。スペインのトラルバ遺跡は草原性の大型獣を複数の人が協力して狩った狩猟場といわれている。このほかでは,アフリカ起源の握斧や刃先が幅広の斧状の石器が分布しており,約50万年前に北アフリカからジブラルタル海峡を渡った一群の原人がいたとする説もある。西アジアにおいても握斧を主体とした文化がみられる。アフリカ,ヨーロッパ,西アジアの握斧を主体の文化に対し,同じ原人段階の東南アジアや東アジアでは礫器主体の文化がみられ,H.L.モヴィウスは,原人段階のアフリカ=ユーラシアを西の握斧文化圏と東の礫器文化圏の二つに分けた。しかし最近ヴェトナムのドー山遺跡や朝鮮半島の全谷里遺跡で本格的な握斧が発見され問題を投げかけている。インド・東南アジアの礫器を主体とする文化は,中期旧石器時代においても変化をみせず,豊富な熱帯性植物資源の利用に頼る生活を送り,石器を変化させる必要がなかったと考えられる。中期旧石器時代になると,北アフリカ,西アジア,ヨーロッパほかでは,それまでの握斧を主体とする文化から剥片を主体とする文化へ移行していき,あらかじめ石核の形状を整えた後に剥片を取り出すルヴァロワ技法や,石核から連続的に剥片を取り出し,後に円盤状の石核を残す技法が盛行した。この地域では,ルヴァロワ尖頭器ムステリアン尖頭器といった剥片尖頭器ほかによる草原性の大型草食獣の狩猟が活発であり,東ヨーロッパのモロドヴァ遺跡では,マンモスの骨や牙でつくられた住居が発見されている。西ヨーロッパでは石器文化が大きく四つに分かれ,それぞれ四つの民族が残した文化であるという説と,単なる4種類の仕事の差を反映しているとする説がある。中期旧石器時代になるとシベリア南部においてもルヴァロワ的な石核やムステリアン尖頭器ほががみられ,この時期の人類の北方への拡大を示している。ヨーロッパや西アジア・中央アジアほかでは,埋葬の際に死者を板石で保護したり,石器や動物の副葬あるいは献花ほかがみられ,旧人の生活風習がうかがえる。サハラ砂漠以南のアフリカでは草原地域に加え,森林地域でも生活が行われるようになった。ここではアシュール文化の伝統が強いが,しだいに剥片石器が多用されるようになる。草原地域では,アシュール文化に出現した狩猟具も盛行する。後期旧石器時代になると石刃技法が盛行し,尖頭器・彫刻刀・ナイフ・錐・スクレイパーなどが発達する。ヨーロッパでは,草原性の大型草食獣の狩猟が活発で,ウクライナのプシュカリ遺跡・メヂリチ遺跡地では,マンモスの牙や骨でつくられた住居跡が発見されている。マンモスハンターの活発な活動はシベリアでもみられ,マルタ遺跡ほかがその代表である。東ヨーロッパからシベリア一帯には象牙製のヴィーナスが分布している。西ヨーロッパのソリュートレ文化では,月桂樹葉形のものを始め,両面加工の尖頭器が発達し,非実用的な薄く大型のものもある。続くマドレーヌ文化では,フランスのラスコーやスペインのアルタミラほかにみられるような彫刻画の発達がみられる。投槍器の盛行がみられるのもこの時期である。ヨーロッパの後期旧石器時代末葉になると幾何学形細石器が出現する。西アジアも後期旧石器時代末葉になると,石刃主体の石器から非幾何学形細石器,さらに幾何学形細石器への移行がみられ,石皿・石杵の出土もみられ,野生のムギの利用がうかがわれる。北アフリカでは中期旧石器時代の伝統が残り,ルヴァロワ剥片を素材とした柄つきの尖頭器もみられる。石刃を主体とした文化も存在し,末葉には細石器文化も出現する。南アフリカでも後期旧石器時代末葉になると,尖頭器とともに細石器が主体をなす。シベリア・華北では,剥片・石刃を素材とした尖頭器・彫刻刀・スクレイパーほかに加え,断面が楔形をした楔形細石核と,それにより取り出された細石刃がみられ,草原性大型草食獣の狩猟が活発に行われていた。約1万2,000年前になると,アジアの極北地域でも人類の進出がみられるが,アメリカ大陸でもこの時期以後,クロヴィス型・フォルサム型といった尖頭器を主体とした文化が出現し,人類移住の確実な証拠としてあげられる。これ以前にも8万年前のカナダのオールドクロウ遺跡の骨器文化や南北アメリカでは,礫器・石刃・ルヴァロワ的な剥片ほかがみられ,人類移住の年代はさらにさかのぼる可能性もある。オーストラリアでは,後期旧石器時代初頭より石器文化が確立されている。日本では3万年前以前を前期旧石器時代と呼び,栃木県星野遺跡・群馬県岩宿遺跡・大分県早水台遺跡・宮城県座散乱木遺跡・馬場壇遺跡では,礫器,ルヴァロワ型石器,円盤形石核三角形の剥片尖頭器ほかが出土しているが,否定的見解もある。後期旧石器時代初頭に礫器・小型不定形剥片石器・局部磨製石斧ほかがみられ,2万5,000年前から1万2,000年前にかけて,縦長や横長剥片を用いたナイフ形石器が盛行し,それぞれの地方ごとに特色をもつ。1〜4万年前から細石刃文化が日本列島全域にみられ,とくに北海道と北九州には,楔形細石核の発達が顕著であり,大陸との関連を示している。また,1万2,000年前から有舌尖頭器と呼ばれる石槍が局部磨製石器とともにみられ,この文化のなかで土器の出現がみられる。九州では石槍の代わりに楔形細石核による細石刃文化が存在し,この文化のなかで土器の出現がみられる。その他,岩手県花泉遺跡・長野県野尻湖では,ナウマンゾウ・オオツノジカほかの大型獣が出士している。〔参考文献〕加藤晋平『マンモス・ハンター』1971,学生社
藤本強『石器時代の世界』1980,教育社
稲田孝司『旧石器時代』日本の美術1,1982,至文堂
![]()