●弓裔 きゅうえい
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?〜918 新羅末期の群雄の一人。彼は新羅第47代の憲安王の子,あるいは次の景文王の子ともいわれるが,母の身分が低かったため,出生と同時に民間に捨てられて育った。やがて世達寺に入って僧となり善宗と称した。当時の新羅は崩壊寸前で,王畿の外の州県は反乱派が半ばを占め,あちこちで群盗が蜂起するという有様であった。弓裔は891年に竹州の箕萱に従ったが重く用いられなかったので去り,北原の梁吉の部将となった。彼は士卒と甘苦をともにしたので衆望を集め,901年(辛酉の年)には遂に自立して王と称し高句麗の復興をとなえた。904年には国号を摩震(のちに泰封),年号を武泰(のちに水徳万歳)とした。この国は朝鮮半島の中部一帯を占めたが,以後は,都の慶州付近を維持するにすぎなかった新羅と西南部を支配した甄萱の後,百済とが鼎立する後三国時代となった。しかし,弓裔はやがて自ら弥勒仏と称し狂信的になり,また暴君的ふるまいが多くなって人望を失い,ついに918年に有力武将の王建(のちの高麗太祖)に代わられた。