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●キャラバン

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 キャラバンの名はペルシア語カールヴァーンにもとづく。一般に隊商と訳し,砂漠をラクダ・ロバ・騾馬などの背を利用し,隊を組んで通行する商人団をさす。シルク=ロードは中央アジアの砂漠に散在するオアシスを点綴する道なので,ここを旅行するためには,多くの水と食料を携行しなければならなかった。また旅行中,盗賊や慓悍な遊牧民の略奪も避けなければならなかった。そこで人々はどうしても隊伍を組み,ラクダやロバなどの駄獣の力を借りなければならなかった。シルクロードのうち,草原路とオアシス路を通る交通は,ほとんど隊商の形をとって行われた。

【シルクロードと隊商】シルクロードは形態上からみれば,砂漠中のオアシスを点綴する道だが,機能からみれば,中央アジアを中心に中継貿易を行っていた隊商たちの交易路である。隊商によって西域から玉や青銅,絨毯などが運ばれ,逆に中国からは絹や絹織物が西域へ運ばれた。つまり,シルクロードのおもな機能はあくまで交易で,いわば金儲けのための道であった。シルクロードは宗教や美術の流伝の道として知られるが,本質はあくまで交易路で,文化の交流はいわば交易に付随して行われたものであった。こうした隊商はマルコ=ポーロらのように,ローマから長安まで,一つの隊商が旅をつづけたのではない。1隊商の行動半径は,せいぜい自分たちの言語が通ずる範囲に限られていた。つまり隊商はA→Bヘ,B→Cへと中継交易することによって,東西の物資を交易していた。したがって隊商はだいたい限られた範囲内を何回も往復していたのである。こうした中継貿易においては,途中の隊商宿(キャラバン=サライ)や主要なオアシスでのバザールが重要な存在であった。

【キャラバンの構成】キャラバンの編成には,一定の規準があった。かつて内モンゴルで行われた調査では,西北交易のキャラバンは,ラクダ20頭を最小単位としてこれを1練といい,1人の駝夫(=曳き子)の責任頭数であった。2練を1把といい,5把を1頂房という。そしてだいたい3,4把,つまりラクダ240頭から320頭で一つの隊商を構成した。約300頭のラクダのうち,4分の3に商品を積み,あと4分の1に包(テント)や食料・水・日用品を積みこんだ。隊商が宿営地について,ラクダは行進中の順に座らせ,荷物や鞍はその側にきちんとおろされ,翌朝の出発に備えた。とにかく長い道中をラクダの背にゆられて行くので,出発準備には意外に時間と手間がかかるものであった。ラクダ曳きは自分のラクダに乗る場合を除いて,往路は全行程を歩くことが義務づけられ,たとえ病気でも特例は許されなかった。重病となって,つまり食事が咽喉を通らなくなって,はじめてラクダに乗ることを許される。ただし帰路には積荷の都合によって,全員ラクダに乗って帰ってよい。全行程を通じてラクダに乗れるのは,隊商長と料理長およびコック見習いだけである。とくにコック見習いは,他の隊員より早く次の宿営地につき,お茶や食事を準備しなければならなかった。キャラバンは毎朝早く,朝露のしめりのあるうちに,ラクダに草を食べさせ,看視人以外はゆっくり休む。そして正午ごろ,朝の食事をとる。それからラクダを集めて荷を積み,午後になってから宿営地をたち,約6〜10時間行進し,暗くなってから休息する。1日の行程は30〜40km前後で,行進中は一列縦隊をくずさない。宿営地につくと,夜間はラクダはそのまま休ませ,翌払暁に放牧するのである。もし宿営地がオアシスであれば,キャラバン=サライに入って休息する。キャラバン=サライ土壁に囲まれた方形の宿泊所で,だいたい中庭にラクダを入れ,人々は同壁内側の部屋に休む。夜は門を閉じて外出の自由はなく,宿賃は人の泊り賃とラクダ・ロバそれぞれ1頭につきいくらかの餌代を支払う。その糞は宿主の所有になり,燃料となる。隊商が最もよく使用する駄獣はラクダとロバで,土地によっては馬やヤクも使用された。高昌・カシュガル・カーブルなど,途中のオアシスは交易・駄獣交換の町であった。