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●吉備真備 きびのまきび

アジア 日本 AD693 

 693?〜775(持統7?〜宝亀6)奈良時代の官人・学者。下道朝臣国勝の子で,吉備地方の豪族の出身という。717年(養老1)に阿倍仲麻呂・ゲンボウ※注1※等とともに遣唐留学生として入唐,約20年の在唐中にさまざまな学問を修めて734年(天平6)帰国。藤原4子の病死後,政権を握っていた橘諸兄に重用され,唐で得た最新の知識をもってわが国における律令国家体制の整備に尽力した。その間,官位も帰国当時の従八位下より異例の昇進を遂げ,それに不満をもつ藤原広嗣の挙兵を招いた。744年(天平16)には吉備朝臣の姓を与えられる。姻戚関係を利用した中央政界での藤原仲麻呂の台頭に押され,750年(天平勝宝2)従四位上の位ながら筑前守に左遷されるが,翌年遣唐副使として再度入唐,帰国後は称徳天皇の下で政界の中心に返り咲き,正二位右大臣まで昇進。称徳崩御後の新帝擁立に失敗,770年(宝亀1)の光仁天皇即位とともに政界を退き,775年没。

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