●吉備 きび
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岡山県全体と広島県東半部を中心とした地域の,古代の呼び名。『日本書紀』や『古事記』以来用いられている地名で,律令制度の地域区分では備前・備中・備後・美作の四国に分かれる。『日本書紀』や『古事記』は,吉備津彦と総称される人物が中央政権から派遣されて,古代吉備地方を統治したこと,また,そのあとのこの地方の豪族が,吉備津彦の子孫であるとの伝承を記している。実際に,吉備が古代の地方として勢力が強かったことを示しているのは,優れた内容の古墳の存在である。5世紀代に築かれた岡山市新庄下の造山古墳は,全長350mの大前方後円墳である,仁徳・応神・履仲の三陵に続く全国第4位の規模をもっている。6世紀の総社市三須こうもり塚の横穴式石室は,奈良県明日香の石舞台古墳の大きさと匹敵する。こうした古代の吉備の力は米づくり農業のほか,製鉄・製塩・瀬戸内海上交通に支えられていた。『日本書紀』の雄略紀にみえる吉備氏反乱の伝承も,吉備勢力の強さの反映であろう。