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●紀年法(西洋) きねんほう

ヨーロッパ ヨーロッパ AD 

 一つの国家や民族の歴史を計算する場合,起算点となる年度を措定し,それを紀元として案出する方法。紀年法の初期の段階では,1年任期の高官が紀年のために特別の意味を担うもの,あるいは当該年度の特定の神官の名をもって年を表すやり方,何某王の治世第何年というような表現形式,また,ほかの顕著な歴史の出来事との年代的な連関によってある一つの出来事を表示する方法などが使用された。古代のエジプト・バビロニア・アッシリア・ヘブライ・ペルシアなどでは,このような起年を定める方法が採用された。たとえば,西洋における最古のものと呼ばれている,新バビロニアの祖ナボナッサルを嚆矢とする“ナボナッサル紀元”があるが,これは,前747年を起算点としてバビロンの地を支配・統活したバビロニア・ペルシア,そしてアレクサンドロスとその後継者を通して数えられたものである。他方,一つの世界の歴史というものを統一的な観点から秩序だてる紀年法は,歴史全体を一つの観点に立脚して,単一な総体として観察する姿勢とかかわりをもっている。ギリシアの“オリンピアド”,ヘレニズム時代の“セレウコス紀元”,ローマの“ローマ建国紀元”などがこれに該当する。キリスト教を基礎として案出されたものとしては,“アブラハム紀元”“天地創造紀元”などが挙けられるが,“キリスト降誕紀元”が最も長く続いているもので,大きな影響を与えて今日にいたっている。“キリスト降誕紀元”(西暦)を初めて採用したのは,ローマの神学者・年代史家ディオニシウス=エクシグウスといわれている。彼は,その著書『復活祭の書』(525)において,キリストの誕生の年をローマの建国紀元754年と定めて“キリストの降誕紀元”を創始したが,これが3年ないし7年遅れすぎることはよく知られている。9世紀のカール大帝の時代には,これがほかの紀年法にまさる優位を獲得して今日にいたっている。