●紀伝体 きでんたい
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古代中国に始まった歴史記述の一形式。編年体,または紀事本末体と区別される。編年体が歴史の動きを年月順に記述するのと異なって,紀伝体は本紀(皇帝を中心とした政治の動静を編年的に記述)・列伝(家臣の伝記や属国の歴史)・志(天文・律暦・礼・音楽・職官・地理・食貨など各部門の変遷)・表(制度・年表・系譜などの一覧表)に分類して総体を表す形式である。紀事本末体は,記事の意義によって分量を按分して始終を叙述するもので,前二者のいわば折衷形式といえよう。中国では,当初は編年体が行われたが,司馬遷の『史記』が紀伝体を採用してから『漢書』が踏襲,以後歴代王朝の正史は,ほぼその形式に従うことになった。ただ,そのような紀伝体の正史は,その王朝によって編さんされたものではなく,その王朝の専門の史官によって厳正に記録された実録編年体としての国史を,のちのほかの王朝が部門別に整理し直したものであった。その国史というのは,『唐六典』巻九に〈史官掌修国史,不虚美不隠悪直書其事 凡天地日月之祥,山川封域之分,昭穆継代之序,礼楽師旅之事,誅賞廃興之政,皆本於起居注時政記,以為実録,然後立編年之体為褒貶焉,既終則蔵之于府〉とあるように,天子の日常の言行や政治を中心として,何事もありのままに記録した実録を編年に整理し,儒教の徳目で批判したものであって,それは府に秘蔵されて天子も見ることができなかった。のちの王朝は,それを基礎史料として新たに便利な紀伝体の正史を編さんし,現実政治の模範とした。国史は現存しないけれども,その実録というのは中国の伝統的修史思想の要であった。日本では,『日本書紀』を初めとして中国の正史を盛んに活用しているが,六国史はみな編年体であり,菅原道真の『類聚国史』が六国史の記事を事項別にし,虎関師錬の『元亨釈書』が伝・志・表をそなえるが,本格的紀伝体は後代の水戸の『大日本史』が最初である。