●祈祷寺 きとうじ
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近世寺院のあり方を示す一つの寺院の型。菩提寺や寺請寺院や葬祭寺院と型の異なるもの。祈祷寺院の進出は寛永末年以降である。ときに,水戸藩主徳川光圀は1666年(寛文6)の寺院整理において祈祷寺院を否定して,寺請寺院を中心とする政策をとっている。祈祷寺は信仰への依存が強かったから寺請制度に安住できなかった。それゆえ社地寺院へ進出している。祈祷寺院は小規模寺院経営が増加することを示している。菩提寺院は堂塔の建立・法会以外の収入が多かったが,祈祷を主とする小寺は現世利益の欲求に応えざるを得なかったのである。耳に聞くことが眼病に効くとか,祈祷の功徳を限定して,地域住民と密着し,身近な相談相手となり,ささやかな小寺を続けている。祈祷寺は古代においては祈祷所御祷寺といって,私的につくったものであった。これは貴族個人の現世利益を求めたものである。その点で祈祷寺には一つの伝統的性格があったが,つながりはむしろないと考えたほうがよい。