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●北山山荘 きたやまさんそう

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 足利3代将軍足利義満によって京都西郊に建てられた山荘。北山殿ともいう。1394年(応永1),将軍職を退いた義満は,現鹿苑寺近辺にあった西園寺家の別邸を譲りうけ,1397年(応永4)から山荘の造営に着手,翌年,移徒した。『臥雲日件録抜尤』によれば造営費用百万貫という。山荘は義満の住いとする北御所,夫人日野康子の南御所,崇賢門院の御所の3御所からなっていた。北御所は現鹿苑寺境内にあたり,これを中心に東は紙屋川,南は現衣笠総門町付近,北は衣笠山の地を占めた。北御所には晴向きの施設として桁行7間,梁行5間の寝殿や小御所があり,奥向きの施設として会所・舎利殿(金閣)・泉殿などが池庭のまわりに配され,なかでも会所では種々の文芸が催されて,のち北山文化の名を生み出した。1408年(応永15)3月,後小松天皇の北山行幸が行われたが,同5月,義満は没し,夫人も1419年(応永26)に没すると,足利義持は一部を残して山荘を解体移築し,跡を鹿苑寺とした。