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●北マリアナ諸島コモンウェルス きたマリアナしょとうコモンウェルス

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【地理・住民】ミクロネシアのマリアナ諸島のうち,グアムをのぞくロタ島以北の諸島で,北緯14度8分から20度33分まで,東経145度から146度のあいだに位置する。国名はこの地理的条件からつけられたものである。最南端のロタ島から最北端のファラロン=デ=パハロス島まで大小合わせて14の島があり,このうち一番大きな島はサイパンで面積122平方km,これについでテニアン101平方km,ロタ85平方kmとつづく。陸地面積は,合わせて476平方kmである。住民は,本来の原住民であるチャモロ人が,グアムを含むマリアナ諸島の主要な種族であり,フィリピンその他の東南アジアからマリアナ諸島に移住してきたものが,スペイン領になって以来,ヨーロッパ人などの外来人とのあいだで混血が進み,現在のチャモロ人が形成されたのではないかといわれている。ロタ島には比較的純粋なチャモロ人が居住している。チャモロ人以外の住民として,日本統治時代にはカナカ人といわれ,第二次世界大戦後の信託統治領になってからは,カロリン人カロリニアン)と呼ばれるようになった,主としてカロリン諸島からの移住者であるミクロネシア人,およびアメリカ人,フィリピン人などが居住している。言語は,公用語および学校教育においては英語であるが,家庭内や日常会話では,チャモロ語またはその他のミクロネシア語も使用されている。年配の者は,日本語の会話も解する。生活様式は,西欧化されており,ほかのミクロネシア地域にみられる伝統的社会構造は,消滅してしまっている。人口は,1983年現在で1万9,600人と推定されている。

【歴史】最初スペイン領であったが,1899年ドイツがスペインより購入して以来ドイツ領となった。第一次世界大戦に際し,日本海軍が占領し軍政下に置いたが,1921年4月より日本の委任統治領となった。第二次世界大戦中,サイパン・テニアンは激戦地となり,ここを守備していた日本軍将兵は玉砕した。テニアンには,アメリカ軍占領後基地が建設され,ここを飛び立ったB29が,広島と長崎に原爆を投下した。アメリカ軍政下に置かれたのち,1947年7月18日よりアメリカを施政権者とする国際連合の信託統治領マリアナ地区となった。

【自立の過程】1960年以降の国連の非植民地化運動を背景に,アメリカは信託統治に代わる,新しい政治的地位を決めるための交渉を,1969年から開始した。この交渉の過程でマリアナ地区は,他地区と別れてアメリカと個別交渉する意向を表明し,1972年12月から75年2月まで5回にわたって個別交渉を行った。その結果マリアナ地区は,他地区から分離した独自の自治政府となり,信託統治終了後は,アメリカの主権のもとに正式に「コモンウェルス」という政治的地位になることが決まった。このことを取り決めた「アメリカ合衆国との政治的結合である北マリアナ諸島コモンウェルスを設立する盟約」が,1975年2月15日,サイパンにおいて調印され,6月17日の住民投票により承認された。「盟約」は,その後アメリカ側の手続きをへて,1976年3月24日に発効した。同年10月から12月にかけて憲法が制定され,1978年1月9日,憲法の施行と同時に「北マリアナ諸島コモンウェルス」という名称で,自治政府が発足した。

【統治機構】憲法上次のように規定されている。立法部−上院・下院から構成される二院制議会が立法権を行使する。行政部−選挙により住民から直接選ばれる知事・副知事,およびその他の公務員が行政権を行使する。司法部−北マリアナ独自の裁判所と,アメリカの連邦裁判所の2本立になっている。北マリアナの裁判所として,事実審裁判所と控訴裁判所が憲法に規定され,アメリカ連邦裁判所として,北マリアナ地方裁判所が設置されている。地方政府は,ロタ・サイパン・テニアンおよびアグイハン・北部諸島の4地区にそれぞれ設置されている。