●喜田貞吉 きださだきち
アジア 日本 AD1871 明治時代
1871〜1939(明治4〜昭和14)近代の日本史学者。徳島県に生まれ,号を斉東野人という。東京帝国大学文科大学卒業。1899年(明治32)日本歴史地理研究会を組織,雑誌「歴史地理」を創刊,1901年文部省に入り,国定国史教科書編さんに当たったが,1911年(明治44)南北朝正閏論争で南北両朝併立の記述をして世を迷わしたと非難を受け,休職となり,そのあいだ,「平城京の研究・法隆寺再建論」1909年で文学博士となる。そしてここでも法隆寺再建・非再建論の中心となっている。1919年(大正8)日本学術普及会を組織し,雑誌「民族と歴史」を創刊,主筆となり「特殊部落号」を編さんしながら部落解放問題に取り組んで先駆的役割を果たした。1920年東京大学教授となり,1924年辞職,以後東京大学・東北大学講師として実地調査を指導し,考古学・民俗学・古代史学・歴史・地理の学際的研究に新分野を開拓している。