●北アフリカ作戦 きたアフリカさくせん
ヨーロッパ 英国 AD
アメリカ・イギリス連合国軍の実施した第二次世界大戦中の主要軍事行動の一つで,「トーチ(たいまつ)作戦」という。1942年11月8日,アイゼンハウアー最高司令官の率いるアメリカ・イギリス連合国軍がヴィシー政権側のフランス領であったモロッコのカサブランカとアルジェリアのアルジェやオランに上陸作戦を展開した。その成功によりドイツ・イタリア枢軸国軍を北アフリカから一掃できる見通しを立てた連合国は,1943年1月14日から10日間ほどカサブランカでルーズヴェルトとチャーチルの首脳会談を開いてトーチ作戦後の戦略としてシチリア進攻を決め,イタリアを無条件降伏に追い込む方針を決定した。これより先の1942年6月30日,ロンメル元帥の率いるドイツ・イタリア枢軸国軍がアレクサンドリア西方100kmにあるエル=アラメインに到達し,スエズ運河に一時脅威を与えた。その反撃をめざし北アフリカ作戦の実施をルーズヴェルトに賛成させたのはチャーチルで,そのためドイツ軍の戦力の2分をはかってフランスに第二戦線の早期形成を望んだソ連の期待はあと回しになった。チャーチルの強い主張は地中海を制圧しイタリア半島やバルカン半島のいわゆる「枢軸側の柔かい下腹」からドイツへ進攻するという構想にもとづく大戦略で,同時に「地中海・バルカン・中近東・アジアにおよぶイギリス帝国」の権益を守り抜こうとする配慮をも秘めていた。