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●貴族政治 きぞくせいじ

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 最も優れた人々が権力をもつ政治形態。一般には伝統的土地貴族が王制を廃して樹立する政体をさし,評議会と執政官職とを中心に政治運営が行われる。王朝下で貴族階層が実権を握り政治を担当する場合も貴族政治と呼ばれることがある。ウェーバーによれば,城砦王政下の王の家臣団がギリシア・ローマでは経済的政治的地位を上昇させ,都市に集住して貴族制ポリスを形成したが,逆にオリエントでは下臣団の地位は強力な王権によって官僚的地位に低められ,貴族制は成立しなかったとされる。

【貴族身分】貴族,貴族的階層は多くの時代に存在し,その内容は時代の性格を反映してさまざまである。しかし,貴族政治の担い手は概して大土地所有階層である。古代の土地制度にもとづく土地財産の安定性のために,貴族は同時に家柄の古さと血統の優秀さを誇り,一族を結束して氏族的貴族門閥を構成する。パトリキ(ローマ)・エウパトリダイ(良き父祖をもつ人々,アテナイ)・ヒッポボタイ(馬を飼う人々,カルキス)・ゲロンテス(長老,スパルタ)・ガモロイ(シチリア)などである。土地経済が全経済活動に占める役割が高いほど,貴族の地位は高く,かつ安定的であるが,逆に商工業活動の比率が高まると,貴族社会内部は不安定になりやすい。それゆえ,貴族制下では市民の商工業活動は,テッサリアやスパルタのように,制限・禁止される傾向にある。貴族は戦士としては完全武装の装備を自弁する義務をもち,一騎打戦法密集隊戦法における中核的役割を担っているが,平和時にも裁判や宗教を通じて指導的役割を保った。すなわち,有力氏族は国家組織の下部単位としてのフラトリア的組織において崇拝行為を司り,それへの参加が完全市民権の,したがって政治的特権の基礎となった。

【貴族制的諸制度】評議会は王制期に王権を補佐した貴族評議会が独立したもので貴族政治の最高決議機関。終身的世襲的な一定門閥の代表者で構成されたが,のちには高級官職歴任者にとって代わられる。執政官(コンスル・アルコンエポロイなど)は評議会や民会で選出された同僚制の官職で,従来,王の執行した神事・軍事・行政にわたる業務を分担執行した。任期は終身制・10年制・1年制へと移行し,任命制から挙手選出制へと移行する。王は追放されるか貴族階層に埋没し,あるいは権限を縮小して残存した。民会は無実化する。

【歴史】貴族政治成立の経緯はローマの場合を除いて明らかでなく,ギリシアでは王制からの移行が平和裡に徐々に進行したと推測される。一般に貴族は国内の門閥相互間でよりも外国の有力門閥と通婚し,家柄を高めようとする傾向があり,各ポリスの門閥間には複雑な姻戚関係が成立した。その結果,国際間の平和は維持される傾向にあったが,逆に,いったん国際間に不和がおこると国内の門閥間に党争を惹起することになった。前8世紀末は各種の党争や人口増加に伴う食糧不足のため植民活動が活発化し,商工業の発展がさらに促進された。それに伴い平民の経済的台頭が進み,武具自弁能力ある階層の増大が戦術的改良を促し,従来の一騎打戦法に代わって重装歩兵の密集隊戦法が編み出された。軍隊内での平民の増加や富裕平民の増加は伝統的土地貴族の政治的社会的秩序を動揺させた。これを鎮静させるために七賢人の思想が中庸の徳を説き,ドラコン法やローマの十二表法のような法の成文化運動が現れ,調停者による妥協的改革が実施された。この混乱の中で僭主政治や財産評価政体が成立したが,いずれも過度的現象に終わり,長くは続かなかった。しかし,混乱に乗じた外国の干渉や僭主政治復活の危機のなかでポリスの共同体意識が高まり,重装歩兵軍を拡大するための軍事的要請も加わり,貴族は武具の自弁能力もつ平民に兵役義務と交換に政治参加の権利を承認した。かくして前6世紀に多くのポリスで,貴族政治は寡頭政治や民主政治にとって代わられた。

〔参考文献〕アリストテレス著,山本光雄訳「政治学」『アリストテレス全集15』1969,岩波書店

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