●貴族(中国) きぞく
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一般に貴族とは政治上・社会上の優越した地位と特権を代々世襲していく家族をさすが,中国では,官僚制国家の展開と関連して形成され,魏晋南北朝から隋唐時代を特色づける階層をさす。秦漢時代の官僚である士は本来庶民中の秀才で退官後は庶民とされたが,豪族勢力が伸長した前漢末以降,社会的・経済的実力をもつ豪族が,官僚に必須な儒学の教養を身につけて多数官界に進出した結果,後漢時代には,各地に社会的背景をもつ士族勢力が形成されるにいたった。腐敗した宦官政府を批判しておこした党錮の禁はこうした士族勢力と彼ら士人間の輿論の成長を示すものである。これ以後,君主はこれらの士族(これを士人・士大夫という)の期待をになって政権を担当せざるをえなくなった。三国の魏が採用した九品官人法は,いわば各地の士人層の輿論すなわち郷論によって官僚を選挙する制度であったが,人材の登用に際してしだいに家柄が重視されるようになり,家格の上下に応じて就官の範囲が固定していくこととなった。こうして士大夫社会には代々高級官僚を出す家柄を頂点とする上下の身分秩序が固定し,通婚も同一身分の範囲でしか行われなくなった。広義には六朝時代の士人は庶民に対して貴とされたが,家柄の低い士人を寒門と呼ぶ場合は上級官職を独占する士人のみが狭義の貴族と呼ばれる。貴族の特質は士すなわち官僚を本質とするという意味での官僚貴族,士大夫としての教養貴族であったことで,経済的富裕さは必ずしも貴族の条件とはされていない。このように,個々の貴族の交替はあっても,貴族全体としての政治的・社会的優位性は,王朝の興亡に関係なく維持されていた。君主権もこれと妥協し,むしろ自ら最高貴族層であろうとした。こうした傾向は東晋・南朝においてとくに典型的に見出されるが,比較的君主権の強力であった異民族王朝の北朝でも貴族勢力を無視しえなかった。北魏の孝文帝の漢化政策中の姓族詳定はその例である。隋唐時代に科挙制が採用されても貴族の力はなお相当に強く,門下省を中心に君主権を制肘したが,唐末には没落した。〔参考文献〕宮崎市定『九品官人法の研究』1956,東洋史研究会
川勝義雄『六朝貴族制社会の研究』1982,岩波書店