●義倉 ぎそう
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律令体制および江戸時代において,飢饉に備える貯穀倉の制度。常平倉・社倉とともに,“三倉”と呼ばれる。隋・唐で行われていた制度を,大宝令がとり入れたもの。一位以下,百姓雑戸にいたるまで,財産の額に応じて九等戸に分かち,上々戸は2石とし,それ以下,下々戸1斗にいたるまで負担額が定められていた。粟(稲・大小麦・大小豆で代用できる)を,田租と同時に納付するので,一種の付加税と認識されていた。義倉と呼ばれる国衙の倉に貯え,飢饉に備えたのであるが,貯穀量が少額なため効果は少なく,律令制の衰退によって廃絶された。江戸時代に再びつくられるようになるが,有力な農民,または商人の義捐,または課徴によって貯穀するのを建前としたが,実際は社倉と明確な区別があったわけではない。備中倉敷のものが最も古いが,飢饉が頻発することによって,儒者の唱導で多くの藩で設置するようになった。明治以後しだいに廃絶されていった。