●騎士道 きしどう
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11世紀以降,ラテン語史料にミレスと称される人間集団が出現する。これが英語ではナイト,フランス語でシュヴァリエ,ドイツ語でリッター,「騎士」である。彼らは「戦士」として,「領主」として,11世紀以降しだいに整えられていくヨーロッパ社会の有力な一階層を構成した。この階層の男の振舞いの規範・倫理綱領がすなわち「騎士道」である。おそらく1100年ごろ現行の形にまとめられ,12世紀の第2四半期に筆写されたとみられるオックスフォード写本『ローランの歌』に「騎士」のイメージを求めれば,腹心の友オリヴィエの屍を抱いてローランは嘆く。〈オリヴィエ,よきなかまよ,おまえはリュネール谷の地を領したルニエ侯の子息であった。槍を折り,楯をくだくことにかけて,おごれるものを打ち負かすことにかけて,正しい人々に助言と助力を与えることにかけて,どこをさがしてもおまえほどの騎士はいない〉冒頭の一節は「家門」の紹介であり,「家門」は,9,10世紀の混乱期をすぎて,ようやく11世紀に形成をみた血縁集団であって,封建制度の基礎単位となった。〈槍を折り,楯をくだく〉というのは,騎士たるものの要の徳目「剛勇」の表示であり,〈おごれるものを打ち負かす〉とは傲慢の罪の告発,騎士にふさわしい謙譲の徳目を指示している。「助力と助言」こそは封建契約における家臣たるものの務めである。この簡素な騎士像はすでに「騎士道」の原型を示している。13世紀前半期のラウール=ド=ウーダンクの詩『剛勇の翼』は冒頭に〈騎士道は宮廷風礼節の泉〉と歌い,『ロランの歌』以後の「騎士道」の展開を示唆する。ウーダンクの歌う〈剛勇の二つの翼〉は「寛仁」と「礼節」だが,前者の徳目はすでに12世紀初頭,ということは『ローランの歌』の成立とほぼ同世代の詩人アルベリクによってつくられ,12世紀末から13世紀初頭にかけて多くの詩人がこれを好んで改作した『アレクサンドロス物語』に称揚された徳目であった。この物語こそ「騎士道物語」の古典と目されたのである。他方「礼節」の徳目は,12世紀に展開したトルバドゥールの抒情詩,トルヴェールの宮廷風恋愛物語(ロマン=クルトワ)に培養基を得た。「歌人」を意味するトルドバドゥールの抒情詩は,リムーザンを北限とする西南フランス(アキテーヌ)からフランス中央山塊・ローヌ川流域(のちのプロヴァンス)にまでひろがるオック=フランス語圏の騎士領主層の社交遊戯の産物であった。侯伯を名のるほどの有力な領主の館で催される歌会が詩歌制作の現場であり,宮廷風礼節の習練の場であった。「歌人」の大半は騎士領主であった。高貴な女性に捧げる若い騎士の思慕の情という,執拗に繰り返された文学テーマは,領主貴族の生活の現実を映すものであったわけで,逆にその文学的フィクションが封建的人間関係における上級者の下級者に対する保護の,下級者の上級者に対する誠実の義務感を養ったのである。騎士道の徳目「礼節」は,宮廷風愛の理想の追求を幹として枝葉をひろげた男の振舞いの体系であった。
キリスト教思想との結合は,すでに11世紀末に成立した聖地3大騎士団の形において明らかであり,13世紀に入れば「騎士叙任」が教会儀式として様式化される。騎士候補者は「肩打ち」の儀式を受けて騎士になる。剣の平で肩を打たれる所作が中心である。12世紀の叙事詩は,父あるいは世俗の第三者を,騎士としての資格において,この儀式の執行者として描いているが,教会がしだいにそれに介入した。13世紀末に書かれたマンドの司教ギョーム=デュランの司教典礼書は,騎士候補者の教会堂内での徹宵の祈り,聖職者による「肩打ち」,教会と寡婦・孤児・弱者に対する保護の誓教,剣と武具の祝聖など,当時慣行となっていた「騎士叙任」の手続きを教えてくれる。騎士道理想はキリスト教的宗教理想の指導に完全に服したのである。