●岐溝関 きこうかん
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現在の河北省タクケン※注1※の西南にあった関,五代・北宋時代の古戦場。奇溝,または祁溝ともかく。唐の末,拒馬河の北岸,岐溝の険に関が設けられたのに始まる。913年(天祐10),晉王李存晟は周徳威を遣わして兵を飛狐口より出し,燕を攻めてさらにすすみ岐溝関をくだした。986年(雍煕3),北伐の途についた宋の将軍曹彬・米信らは岐溝関にいたったが,遼の耶律休哥に要撃されて撤退,夜間拒馬河を渡って易州に赴こうとした。しかし,休哥の執拗な追撃を受けて大敗を喫し,かえって易州・琢州をも失う結果となった。この地方は,遼の五京の一つ南京折津府から宋の開封府へ直行するルートにあたり,その失陥は宋にとって軍事上手痛い打撃であった。のち,宣和年間(1119〜24),遼の滅亡前後の混乱期にふたたび宋の支配下に入り,金に対する備えとして関が設けられた。
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