●菊池大麓 きくちだいろく
AD
1855〜1917(安政2〜大正6)明治時代の数学者。箕作秋坪の二男。江戸出身。蕃書調所で英語を学び,1867年(慶応3)幕命でイギリス留学,帰朝後開成所に入った。1870年(明治3)再び英国に渡り,ケンブリッジ大学で数学と物理学を学んだ(首席)。1877年に帰国し,東京大学理学部教授となって数学・物理学を講義した。同年神田孝平らとともに東京数学会社(日本数学物理学会)を設立して,数学の普及に尽力し,学務委員として「三軸法」(立体解析幾何学)および重学を担当した。1887年には彼の建議によって日本標準時が決定された。和算の研究に洋算を導入した功績は大きい。著書『解析幾何』は数学教育に大きな影響を与えた。震災予防調査会や理化学研究所を創立するなど活動範囲が広かった。1889年学士院会員,1890年貴族院議員,1898年東大総長,1901年文相,1908年京大総長,1909年学士院長などを歴任。男爵。多くの学者を育てた彼は〈爛漫たる桜花の如し〉と評された。
![]()