50音順    検 索

●飢饉 ききん

AD 

 農作物が不作で,食物が欠乏して,人々が飢え苦しむ現象を飢饉という。ついこのあいだまで,日本の農業史は飢饉の連続だった。西暦567年(欽明28)から戦後まで,約1,400年間に起きた飢饉は,計506件で,原因は日照り・長雨に洪水・風・地震・天候不順・戦争・虫害・津波・食糧政策の失敗などである。平家滅亡も徳川幕府崩壊も飢饉の影響が大きい。なかでも有名なのは江戸時代の享保・天明・天保の3大飢饉である。ウンカの害で飢饉となった享保のときは行き倒れが相次ぎ,2,700万人の人口が100万人も減った。長雨と冷夏の天明のときは東北地方には全滅した村がいくつもあり,実の子を殺して食べる人も続出した。ウンカに長雨・日照り・地震・幕府の失政が複合した天保飢饉は前後7年間にわたり,一家心中や集団自殺といった悲劇が相次いだ。明治以後も1934年(昭和9)の大冷害では,東北6県で5万8000人もの女性が身売りや出稼ぎに出て,これが昭和維新を叫ぶ青年将校の奮激を呼び,1936年(昭和11)の2・26事件の原因の一つとなった。これらは今日では考えられない事態である。

【16大飢饉を中心として】最近の1,000年間に起きた“16大飢饉”。

 [1]1180〜81年(治承4〜養和1)までの2年間、天下大いに飢えた。これは大旱ばつ(大日照り)が原因で,平家滅亡の一因となった。

 [2]1230〜31年(寛喜2〜3)2年間大冷害のため天下飢えた。

 [3]1259〜60年(正元1〜文応1)大冷害が原因で飢饉が発生した。

 [4]1420〜21年(応永27〜28)大旱ばつと戦乱のため,大飢饉となる。

 [5]1460〜61年(寛正1〜2)大冷害と戦乱のため,大飢饉となる。諸道の人民食に京師につく,しかし粟乏しく飢を支えるには及ばず。死者なお多く屍骸巷にみつ。

 [6]1539〜40年(天文8〜9)風水害・いなごの害・戦乱のため,被害は甚大で,大飢饉となった。そのうち1539年(天文8)は,いなごの害あり,諸国は不作に悩む。1540年(天文9)は,飢饉での死者が数10万人にも達し,都下屍をすてること毎日60余にものぼった。

 [7]1585年(天正13)大いに飢える。餓孚相望む,民は草根を食す。

 [8]1640〜42年(寛永17〜19)冷害がつづいたため,奥羽地方と北陸とが大飢饉となり,人畜多く死す。

 [9]1680〜82年(延宝8〜天和2)異常気象がつづいたため,全国的な飢饉となった。この間,1681年(天和1)飢う。餓死する者多し。飢民に食を与えること数月,1682年(天保2)飢う。

 [10]1695〜96年(元禄8〜9)飢う。冷害のため,奥羽地方の飢饉はとくにひどかった。

 [11]1701〜03年(元禄14〜16)冷害のため,全国飢饉。とくに奥羽地方は被害甚大だった。1701年江戸では本所の法恩寺前に非人小屋を建てた。

 [12]1732年(享保17)“享保の大飢饉”餓死者数は『徳川実紀』によれば,96万9,000人に達した。なお『飢饉通考』によれば,〈明年春迄餓死する者16万9千余人〉とある。

 [13]1755〜56年(宝暦5〜6)は冷害のため,東北地方大いに飢う。なお1756年(宝暦6)四国では蝗害のため飢う。翌1757年(宝暦7)飢饉となる。

 [14]1782〜87年(天明2〜7)“天明の飢饉”1783年(天明3)秋7月7日,浅間嶽および草津山火を発し,火益熾となり熱沙を雨らし,7月24日北陸,西海大風雨洪水あり,天下飢饉。1784年(天明4)旱ばつのため飢饉となる。1787年(天明7)天下大いに飢う。大坂の商賈蜂起し,富豪を侵掠し,この侵掠は近国にもおよんだ。江府下亦数百人群起し,豪家大戸を撃攘し,相模,肥後など土寇起り,所在を侵略す,徳川幕府吏を遣てこれを鎮平す。

 [15]1833〜39年(天保4〜10)“天保の大飢饉”1833年(天保4)飢う。3年後の1836年(天保7)秋,諸国大いに飢う,関東地方は最も激しく,米価沸貴して一升銭400文に値するにいたる。そのために餓死する者が多かった。1839年(天保10)東北飢饉。

 [16]1866年(慶応2)冷夏,大冷害のため,東国とくに奥羽地方は飢饉に襲われた。このため,天皇方の薩長土肥の西国諸大名の連合軍は,相対的に経済的な比重を増した。

 一方,飢饉にみまわれた関東・東北を根拠地とする徳川幕府は,コメ不足からおこったインフレに悩み,戦う前から幕兵の士気はすでに低下していた。はたせるかな,第2次の長州征伐は,幕府軍の大敗北に終わり,やがて明治維新の夜明けを迎えた。『飢饉通考』その他による)。なお今日でもアジア・アフリカなどでは飢饉が発生している。

〔参考文献〕中島陽一郎『飢饉日本史』1976,雄山閣

司法省刑事局編『飢饉資料』1932

荒川秀俊『饑饉の歴史』1967,至文堂