●祈願 きがん
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目的を達成させるために諸神諸仏・諸精霊などの超自然的な存在に訴え,その力を作用させる信仰習俗。人々の祈願内容は次の三つに類別できる。[1]平穏無事なることを祈り,現在の日常生活を維持するため,[2]より高次なる生活を実現するため,[3]現実におきた災禍を除去し,以前の平穏無事なる生活を回復させるため。同時に祈願は信仰の本質と深くかかわり,神祭りの中核に位置するものである。神祭りは一般に定例の祭りと臨時の祭りに分けられているが,この2種の祭りと祈願内容とはほぼ対応している。つまり,定例の祭りにおいては,主として[1]の平穏無事な日常生活の維持に中心がおかれているのに対して,臨時の祭りは[3]の日常生活への回復に主眼がおかれ,[2]のより高次な生活レベルヘの希求は定例・臨時両者の祭りに関連しているといえよう。ただし,こうした祈願内容の類別と祭祀方法との対応はあくまで傾向としてうかがえるものであり,明確に区分することは困難である。しかし祈願習俗として特筆する場合には,主として臨時の祭りを中心に考えられていることが一般的である。【共同祈願と個人祈願】祈願内容が共同体全体の利害に関連するものであるか否かという点を基準として,共同祈願と個人祈願とに分けることができる。共同祈願は,共同体全体の利害と一致したときにとられる方式で,その共同体を構成するメンバー全員が祈願に参加しなければならない。より具体的には雨乞い・虫送り・疫病送りなどがその代表的習俗といえる。たとえば虫送りなどは,農作物に被害を与える害虫を除去するための祈願で,松明をもったり,害虫を象徴する藁人形などを作ったりして,鉦・太鼓を打ちならしながら集落や田畑をまわった後に村境へ送っていくことが一般的である。この虫送りの習俗は,全戸から必ず一人ずつ参加することを原則としている。というのも,農民にとって農作物の豊作不作が生活全体の維持とかかわり,かつそれが全体の利害に共通しているからである。共同祈願の有無は,共同体そのものの結束の強弱とかかわっており,共同体規制の弛緩や崩壊によって,共同祈願方式も消滅する。その意味で共同祈願はムラ社会における祈願方式であり,都市社会では個人祈願に終止するといえよう。ただし,病気平癒のための祈願には両著の中間型と称すべき祈願方式があり,これを合力祈願と呼ぶ場合もある。つまり治病の祈願方式として水垢離(みずごり)・お百度参りなどの方式がとられてきたが,その場合,家族の者以外に親族・近隣・ムラ全体の人々が祈願に加わる方式である。
一方,個人祈願は,個人的心願に発しているため病気平癒・商売繁昌・安産祈願・合格祈願・交通安全祈願を初めとしてさまざまな内容が認められ,多様な方法がとられている。その代表的習俗が願掛けといえよう。またこの個人祈願は都市社会において発達し,今日の祈願習俗の支配的方式と考えることができる。
【多様な祈願方法】祈願の方法には直接超自然的存在に訴える場合と,僧侶・神職・行者・巫者などの宗教的職能者を媒介とする場合とがあるが,両者の区別は必ずしも判然としない。また各種の祈願方式を重複させてもらう場合が少なくない。祈願の方法では,神仏への参詣・垢離とり・奉納・断ち物・籠り・強要などがその代表的なものといえよう。神仏への参詣は最も一般的な方法であり,神仏自体の機能化によって,その対象も多様化していると同時に流行神化する場合も少なくない。またお百度参り・千度参り・百社参り・千社参りなどのように数を重ねることによって,いっそうの効果が期待されるという信仰が強く,垢離とりなどにも顕著に認められる。奉納物は旗・幟・絵馬などのほかさまざまなものがある。強要とは縛り地蔵のごとく,神体を縄で縛り,目的がかなうとそれを解くといった類の呪的行為で,これにもさまざまな方法がある。
〔参考文献)桜井徳太郎『民間信仰と現代社会』1971,評論社
井之口章次『俗信』1974,弘文堂
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