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●議会政治(日本) ぎかいせいじ

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 議会政治の歴史は近代以前に遡るが,ここでは近代的意味において理解し,国民主権のもとで民選の議員によって構成される議会による政治をいうと解する。国民主権下の近代議会政治は市民革命が社会的・経済的同質性の上に,唯一・不可分の国民的統一を達成し,かつての身分制議会を国民的・市民的議会制に転化させたところに成立をみた。本来,直接民主制が理想の形態であろうが,ルソー『社会契約論』もいっているように,〈もし神々からなる人民があるとすれば,この人民は民主政をもって統治を行なうであろう。これほど完璧な政体は人間に適さない〉(『世界の名著 ルソー』1966年,中央公論社)。議会政治はまずその原形をイギリスに発し,17世紀にいたって議会を全国民の代表機関とする近代的代表制の実質を備えた議会制度に発展し,その後も徐々に進展していった。フランスでは,1614年以降1789年まで不召集であった貴族・僧侶・庶民の代表からなる等族議会が,ブルジョワジーの政治闘争の結果,一挙に近代議会に転換せしめられた。初め君主の諮問機関であったものが,法律・財政等の重要な国家作用を決定する議決機関へと転身していった。

 わが国では,幕末期に議会思想の流入があったが,王政復古後の明治初年以降,五箇条の御誓文1条(〈広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ〉)の趣旨を体し,封建諸藩連合の上に公議制度の導入が試みられた。のち,民撰議院設立の建白が,さらに国会開設の請願運動が盛んになり,1881年(明治14)10月,国会開設の詔勅が出され,1890年,大日本帝国憲法(以下,明治憲法という)の実施により,帝国議会が開設された。このときに,不完全ながら,わが国の近代的議会制が開幕したといえよう。しかし,ひとくちに「近代議会政治」といっても,明治憲法下の帝国議会と日本国憲法下の国会は,前者が君主主権,後者が国民主権の原理という異質の原理に立脚していること,また同じ議会制といっても厳密には新旧二つの憲法の議会制を基礎づける国民代表の原理にも重要な変化がみられること,さらには議会と政府の力関係や国民と議会のあいだの導管である政党制のあり方,その他官僚制や圧力集団の実態等にも深いかかわりがあることに注意を向けなければならない。

【帝国議会】明治憲法は19世紀ドイツ型の外見的−−議会が専制政治の実態を覆いかくす−−立憲君主制(1850年プロシア憲法)を模範として制定され,主権者として統治権の総攬者である天皇(明治憲法1,4条)のもとに天皇の大権を翼賛する国家機関の分立を定め,その場合,帝国議会を天皇の立法権に事前の同意を与える協賛機関(5条)たらしめたのであった。帝国議会の設置は,形の上では自由民権派の民撰議院・国会開設の要求に応えたものであったが,制度自体,資本主義社会の階級対立を反映し,国家分裂の危険を内在させるものとみなされ,社会の上に超然する主権者天皇の大権統治に国務大臣や裁判所とともに翼賛する機関としての地位以上には出なかった。それは〈民主主義政治制度における国民の代表機関ではなくして,君主国における官僚政治へ参加することを許された,君主仁慈の賜与〉(浅井清『国会概説』1948,有斐閣)にほかならなかったのである。帝国議会の憲法上の地位および権能を以下に簡単に要約しておこう。

 第1に,帝国議会は民選議員からなる衆議院(ただし制限選挙制)と,華族議員勅選議員からなる貴族院によって構成された特権階級代表型の二院制をとっていた(33〜35条)。したがって近代議会の通則とされている議会の国民代表機能は寡頭的できわめて不十分なものであった。両議院の権能の面でも,衆議院に予算先議権を認めた(65条)ほかは,両議院は原則として対等の地位に置かれ,民主的第一院(衆議院)を制肘する貴族院がときに政治的優位に立った。第2に,帝国議会は君主主権に基礎をおくきわめて広範な大権政治の制約のもとで,天皇の立法権の協賛機関とされていた。天皇は緊急勅令独立命令によって議会の議決を要せず,直接立法を行うことができたし(8,9条),皇室立法・貴族院令・植民地立法については議会の立法協賛権は排除されていた。立法に関連して帝国議会に与えられた権能は,法律の協賛(37条)のほか,法律案の提出,上奏・建議,請願の受理,議事規則の制定に限られていたのであり(38,40,49〜51条),このうち議員の法律発議権ですら,政府提出法案の優勢の前に萎縮させられていた。第3に,かような帝国議会の憲法上の地位・権能の劣勢に加えて,議会と政府の関係が憲法上の関係として確立されず,両者の関係を定める原理は政治の運用に委ねられていた。実際にも,国務各大臣の責任は天皇に対する責任であって,議会に対するものではなかったし,衆議院の不信任決議も内閣を法的に約束するものではなかった。憲法制定の立役者であった伊藤博文自身,政党なくしても立憲政治の運用に差し支えないものと考えていた。かくして,国政の赴くところ,いわゆる超然内閣主義を招来する結果となった。

 以上を要するに,明治憲法での外見的立憲君主制のもとでの議会政治は,端的にいって君主主権下の,君主の協賛機関にとどまった前近代の態様であり,フランス革命期の国民主権にもとづく国民代表の原理や公権力の分立と均衡とにもとづく古典的議会主義をも排斥するものであったということができる。それゆえ,近代民主政治の産物とはいえ,君主制の原理と特殊日本的政治風土に規定されたわが国の旧議会制(帝国議会)は,明治・大正・昭和にわたる激動の憲政史のなかで,自らの組織・権限の脆弱性と,活動の主人公となるべき政党自体の弱体化を招きながら,大正から昭和への一時期を除いて,総じて不安と緊張をもちつづける。議会開設後まもなく,黒田清隆内閣が超然内閣の方針を宣明し,1891年(明治24)8月,松方正義内閣が内閣の議決で政党内閣は国体を破壊し,皇室を危険ならしめる旨,表明しているのは,その典型である。しかし,政党内閣主義は日清戦争を契機にしだいに芽生え,とりわけ日露戦役後,藩閥と政党の提携をみて,閥族政治より政党政治への推移をみることになった。かくしてその後,憲政擁護運動をへて,1918年(大正7)原敬内閣から1932年(昭和7)犬養毅内閣まで,わずか10年のあいだながら,いわゆる“憲政の常道”が実践された。政党内閣の形成とともに,普通選挙運動が高揚し,1925年(大正14)3月29日,第50回帝国議会は普通選挙法案を可決,成立させた。だが,昭和に入って満州事変(1931)・日華事変(1937)がおこって準戦時体制を迎えるや,軍部の勢力が議会を圧倒した。そして太平洋戦争突入後は,政府も軍の支配下に置かれ,近衛新体制のもとで衆議院の政党は大政翼賛の大義に殉じて解党し,議会も軍閥専制への翼賛議会に転落した。本来の政党政治に立脚した近代的議会政治のスタートは太平洋戦争の敗戦以後のことに属する。

【国会】日本国憲法のもとで天皇の議会は国民の国会へと変わった。日本国憲法下の国会はいうまでもなく国民主権の原理に基礎づけられている。国会は衆議院と参議院の二院制を維持しているが(日本国憲法42条),両議院の議員とも主権者国民の普通選挙によって選出される(43条)。憲法は普通選挙制と選挙権・被選挙権の平等を定め(15条3項,44条),二院制代表民主制の要請に適合するものとしている。かくして国民の直接代表機関としての国会は国権の最高機関であり,唯一の立法機関となり,憲法上の地位・権能は帝国議会に比べて著しく強化されるにいたった。このように,日本国憲法は「人類普遍の原理」として国民主権の原理を確立するとともに,代表民主制の原理を宣明し,この上に立って国政の国会中心主義を樹立しているのである。憲法は代表民主制を補完するために,憲法改正(96条),地方自治特別法の制定(95条),最高裁判所裁判官国民審査(79条2項)について直接民主制の要素を取り入れているが,その採用は全体として控えめであり,代表機関によって国民主権を発動する議会政治のもつ比重はきわめて大きい。

 次に,国会は国民の代表機関であるとともに,国権の最高機関であって国の唯一の立法機関である(41条)。すなわち,国会は国権の最高機関として国政の中枢的地位に立つことにもとづいて,本来の立法権のほか,憲法改正の発議権(96条1項),予算の議決権(60,86条),条約の承認権(61条),内閣総理大臣の指名権(67条1項),内閣不信任決議権(69条)等,広く行政に対する監督統制権をも把握している。そして日本国憲法下の国会の立法権は,単に国会が「法律」という形式の国法(形式的意義の法律)を制定する機関であるだけでなく,国民の権利を設定し,義務を免除したりあるいは権利を制限し,義務を課したりするような,いやしくも広く国民の権利義務に関する規範(実質的意義の法律)たる法規を定める権能を有することを意味する。かくして立法権は本来国会に属し,かつ国会にのみ専属する。

 上述した日本国憲法下の統治機構における国会の基本的地位(41条)の確立を,その成立の背景に即して憲法史的意義を究明すると,そこには次の諸点が浮き彫りされる。[1]市民革命期に国民主権・国民代表の原理にもとづいて,国民の主権を代表議会に一般的かつ集合的に委任した結果,議会の議員の自由独立=命令的委任の禁止を内容とする代表議会の優越が措定され,その後の,“議会の世紀”と呼ばれる,19世紀的立法国家の伝統の継承が看取されること。[2]法の執行ないし適用を任務とする行政権と司法権をともに立法権の拘束のもとに置くことによって,いわゆる並立的な三権分立制を議会の立法権の優位の前に修正する法治国思想の支配が看取されること。[3]君主主権から国民主権への主権原理の転換を契機に,かつて一度も最高機関の経験をしたことのないわが国の議会が初めて国権の最高機関の地位を獲得し,国会中心の議会民主制を確立することが国民の総意として確定したことである。ここでは主権者国民は,名実ともに政治の主人公として,また議会政治の担い手として,議会による政治に大きな影響力を与える地位を約束されている。

 しかし,国民代表制の制度上の核としての議会が国民意思の形成と決定のための合議機関として有効的に社会的諸利害を妥協・調整することができるためには,選挙人をはじめ,政党や議会および行政府の代表者,それに官僚・社会経済的諸勢力等,政治の直接・間接の当事者において,社会の基礎についてのなんらかの基本的な合意の形成が期待され,また当事者自身の民主化がなされていることが望まれることであり,さらには政策と世論の一致が選挙の際だけでなく不断に効果的な情報の提供,協議への参与を通して保障されていることが要請されるであろう。

【議会政治の実態】憲法規範の上で強化された戦後わが国の国会制度ないし議会政治は,その実態(現実の運用)においてみるならば,規範の要請を少なからず裏切るものがある。すなわち,現代国家においては政策項目が拡大・高度化し,また政党制やそれを支える官僚制が発達するに伴って,選挙に勝利した議会の多数派が組織する行政府に,立法・行政のいっさいの権力が事実上集中し,執行権の優位に象徴される行政国家的憲法の世界共通規模での進行がみられる。さらにわが国では,これに加えて,議会の開設が遅く,当初から“強い政府・弱い議会”という反議会主義イデオロギーの具体化としての特殊日本的な憲法政治の状況がある。かかる現代議会制−−イギリス流にいえば,内閣統治制(cabinet government)−−の展開の前に,国会の地位と機能は今日著しい凋落の途を辿り,これまでの古典的な近代議会制の諸原則は重大な修正ないし変容を余儀なくされている。

 執行権優位の議会制のもとで,まず国会の立法機能は衰退の一途にあり,法案の立案と審議における行政府の指導と責任が確立し,また委任立法増大の現象がみられる。内閣の法案提出権は法的にも(日本国憲法72条,内閣法5条参照),実際にも認められ,現に重要法案の大多数は内閣提出法案によって占められている現状である。かくして現代国家の議会制は,フランスの政治学者デュヴェルジェがいうように,立法府の果たす機能は必然的に行政府に対する監督統制に縮減をみてきている。

 次に,議会運営の側面があり,それが議会政治の全体に大きなかかわりをもっていることはいうまでもないが,そこに特殊日本的な運用の断面がみられることに注意したい。この点,帝国議会の議事手続の原則は,議案の処理を本会議中心として常任委員会制度を退けていたが,そのほか議会の召集・開会・閉会・停会・衆議院の解散などの活動能力が天皇の大権に留保され,総じて議会活動の自主性は大いに損なわれていた。尾崎行雄によれば,元来,議事規則や議院法は〈議会政治を否認し,藩閥と官僚とを疵護するために出来上ったもので……議会を行政部の補助機関として,手先に使ふために出来てゐる〉(『新憲法の運用』「朝日新聞」昭和21.11.4)。かくして帝国議会は大権の行使を輔弼(ほひつ)する政府に対する劣位を免れず,“強い政府・弱い議会”の定式がそこで妥当したのである。

 これに対して,戦後の国会は国会自体の自律的な運営を保障されるにいたった。しかし,議事手続自体,わが国の場合,伝統的に著しく形式化しており(たとえば,演説草稿の捧読み・想定問答集の朗読),実質審議の時間も極端に短い。その上に,民意と議会の間を取り次ぎ,国会運営の事実上の担い手となるのは政党(会派)であってみれば,国会運営が政党政治の波長(階級政党間の社会的対立=イデオロギーの過剰,自民党一党支配体制,厳格な党議拘束,ポスト=金権派閥等)によって大きく揺れ動くのも当然である。ことに戦後のわが国の議会史はしばしば“衝突−空白”の異常事態で彩られてきた。憲法・国会法・議院規則を無視した与野党の力の対決,つまり“異常国会”が常態化し,議会政治の危機をいっそう深めた。平和条約・安保改定・沖縄返還日韓条約・大学立法の制定等の大事件や国鉄運賃法・防衛二法・健康保険法等の改正での強行採決に際会して,国民の政治・憲法意識は高揚・鮮明化し,国会運営と議会政治の機能不全に対する大衆的不満が爆発した。また恐かつ・詐欺容疑で起訴されて話題になった「田中彰治代議士事件」(1966)とその直後の“黒い霧”に包まれた国会に対する国民の不信が絶頂に達していたころ,「週刊朝日」が衆議院の全議員に政界不信の原因と是正手段・選挙費の調達・収入とその公開,政策研究・現状の改革点等についてアンケートしたところ,議長は各議員にこれを拒否するように促す通達を出したことも,日本的議会政治の基盤の脆弱さを露呈した出来事として記憶に新しいところである。さらに「ロッキード事件」(1976)はわが国議会政治の構造的腐敗をさらけ出し,議会と民意の乖離を改めて象徴する一大事件となった。

 議会運営に関連して,政党状況の変化に触れておく必要があろう。まず注目されることは,先の“黒い霧”後に行われた総選挙の結果,それまでの自民・社会二大政党制に対して,民社・公明両党が第三勢力としての地歩を占め,いわゆる多党化時代が幕明けしたことである。この点,イギリスや西ドイツのような二党制ないし不完全二党制にみる民主主義独占の方向に比べて,イタリア・フランス,それに最近のギリシア・スペインなどの地中海諸国にみられる多党制は総じて“開かれた民主制”の特色を内包しており,その限りにおいてはわが国の多党制国家への政治的変化には多様な民意の吸収を可能にすることによって代表民主制の基盤強化に繋がり,ひいては国会運営の弾力化や国会対策の現実的対応を容易にする効用を期待させる面がある。

 ついで,近代議会制の原理からすると,もともと私的団体として生成した政党(会派)が所属議員の行動を拘束することは許されない建前であるが,現代の組織政党にとって所属議員に対する党議拘束は不可避な要請であり,ことにわが国のそれは世界的にもきわめて厳格だといわれている。政党主権的な行き過ぎた支配強制は排斥されるべきであるが,政治機構としての代表制メカニズムが容易に果たし難い恒常的な世論形成(集団的民意統合)と政策決定,さらには主として反対党によって具現される政府の監督統制作用などを事実上政党が引き受けている限りにおいて,政党の代表機能を肯定せざるをえないであろう。だがそれにもかかわらず,強すぎる党議拘束は討論による政治を減殺し,儀式化してしまう大きな原因ともなっている。 最後に,政府・政党によって掌握された政治権力の支配とともに,それをも凌駕する勢いの官僚制の有する行政権力の影響力が重大な意味をもっており,これに対する議会政党の対応が問題となろう。戦前はもとより,戦後の日本の政治も依然として官僚主導が絶えない。今日,法律・条約・予算などの重要な国家作用の作成と成立は事実上政府与党と官僚の合作である。そして今日,多くの高級官僚は議会に進出し,議院の委員会で華々しい活躍をし,その専門能力が買われて大臣職にも就き,議会の代表(立法)機能を圧倒している。自民党の長期政権化の過程で政府与党の政策立案能力は事実上しだいに強まりつつある。議会代表制は,今や行政権とともに,それにも対抗して,「民意による政治」を確保していかなくてはならない新たな課題に直面している。

【議会政治の課題】以上みたように,議会政治の現状を分析すると,国民主権を代表する議会が民意による政治,国民のための政治に徹しきれているかといえば,残念ながらそうではないといわざるをえない。“国会と国民の間”は近くして遠いようである。選挙が終わると代表者は民意から独立してしまって,ルソーがいったように国民が奴隷になるような代議制になっていないかどうか,厳しい点検が求められる。日本国憲法前文は,国政の権力は国民の代表者が行使するが,その福利は国民が享受することを明示して,民主制の理念を表明しているが,現代の議会政治はこの民主制の理念を適切に実現しているといえるだろうか。「議会制」はあっても,「民主主義」と結びつかないものであっては何もならない。「議会制民主主義」の賦活のためになすべき課題は多くかつ深遠である。

 日本国憲法のもとの現代代表制は,何よりも普通選挙制とそれを踏まえた「国民主権の原理」(前文,1条)の上に基礎づけられ,しかも〈公務員を選定し,及びこれを罷免することは,国民固有の権利である〉(15条1項)ことから,代表者を通じて,単に一時的に市民が国政に参加するという意味での,形式的な政治的自由の制度ではない。すべての国家機関のなかで,国会こそは選挙を通じて主権者たる国民を直接代表する国家機関として憲法上国権の最高機関たる地位を与えられているのである。したがって,国会の代表機関性の要素として,[1]選挙は代表における民主的正当性の根拠として不可欠である(選挙代表制),[2]議員は選挙において表明された公約を通して委託された国民(選挙人団)の意思(それは少なくとも統治の一般的方向を指示する)を,国民のためにできるだけ忠実に反映し,実現すべき責務を負っていること(政治的委任),つまり議会での代表行動を選挙責任に結合することが要請されている(選挙責任制)。かようにして,国民主権憲法のもとでの民意決定機構としての議会代表制は,一つに普通選挙権の保障を基底として,代表における平等の確保を問題にする選挙代表の側面と,二つに代表者の権力行使の態様,つまり代表行動と選挙責任の結合を通して代表行動に対する政治責任の追及の側面が,同時的に保障される民主的構造をもっていることが必要となるであろう。これを要するに,日本国憲法下の現代議会政治,それの制度的核心としての議会代表制は,選挙過程を基軸に,代表過程を循環し,さらに国民の統制と問責過程にまで還流する一連の統治システム構造として理解される必要があるであろう。そうだとすれば,日本国憲法下の国民代表制において解釈上,運用上留意を要する事柄は少なくない。第1に,国民(人民)をもって国家意思の最高ないし最終的決定権者として位置づけ,これを起点として代表制における世論との対応関係,つまり世論の機能やそれに応答する議員の地位を明確にし,主権者国民による政治的統制を実効化する問責制の確立を可能にすることである。第2に,議会の立法機能の退潮は現代行政国家状況の不可避的な産物だとしても,それがために立法権そのものが凋落したと解すべきではなく,とりわけ国民主権の原理にもとづく国権の最高機関としての地位・権能を与えられているわが国の国会においては,立法権の賦活・議員立法の活用とともに,執行権に対する監督統制機能が十分発揮されなくてはならない。反対(少数)派の批判の権利を十分に保障するとともに,委任立法の執行統制が重要な意味をもつ。議会の立法機能はすでに立案・提出段階で不振であり,法律上もブレーキがかかっている(議員の発議権の制約につき,国会法56条)。少なくとも審議段階における審議の充実が望まれる。委員会中心主義はさらに実質化することを要するが,現行の省別制委員会制度には各省庁との癒着・利権政治の弊害も少なくない。極度に形骸化された本会議の充実も,政党制議会主義のあり方として真剣に考えなくてはならない。本会議中心か委員会中心かという択一的な図式論は現代議会政治が直面している複雑高度な任務課題の前に十分な妥当性をもちえず,相互に補完機能を果たす工夫こそが必要であろう。また監督統制機能は実質的には国政に対する国民の統制を国会が代位することによって,代表民主制と責任政治の結合を保証し,同時に国民に対する情報提供・教育的機能を果たすべきものである。憲法上与えられた統制機能の行使を通じて「代表制と責任政治の統合」を図ることが国民代表機能を実質的に担保し,国民の国政支配を賦活することに通ずるであろう。この意味で、かつて衆議院事務局の「国会正常化試案」(1966年3月30日)が行政監督の厳正,国務大臣の国会に対する義務優先,国務大臣の委員会答弁の徹底をあげているのは支持されるであろう。憲法によれば,国政の権力は国民の代表者が行使するが,〈その福利は国民がこれを享受する〉(前文)。憲法の国民福利主義に仕えるために「民意による政治」を積極的に実現していくことが必要で,そのためには選挙がすんでも奴隷にならないように絶えずデモクラシーの虚構に挑戦の目を向けていることが第1の条件である。それゆえに代表制を基礎とする国政の運用全般を広く国民の「知る権利」に応えるものとしなければならない。公権力担当者に対する国会各議院の国政調査権(62条)の活用が有効な手段となろう。

 最後に,議会政治とその制度的表現としての代表制は,それ自体,“民意による政治”の最善の形態というよりも,近現代国家の政体として現在なおそれに代わりうる制度装置がないことから維持される次善の形態である。「代表制」が近代市民国家の憲法構造として措定されたとき,それは選良による唯一の理想的な支配の形態として,代表意思と民意の同一性を保障する最善の法制度と理解されていたが,現在ではそうではない。したがって,議会政治の否定は政治の堕落形態として戒めなければならないが,だからといって現在の議会制民主主義の現状を固定化することなく,国民のためにさらに賦活し,復権を図る途を不断に考えていなければならない。とりわけ選挙過程での議員定数の是正や選挙運動・選挙活動の自由化の問題は,代表における平等と自由を獲得する手段として改革を必要とする。そして議会政治本来の活力は政党間の政権交替にあるけれども,議会運営の平面においては大胆な制度改革よりもむしろ制度の解釈運用を通して不断に国民のための議会主義を模索し,国民各層からの広範な英知を結集して一つ一つ改善し,よりよい慣行を積み上げてゆく持続的で地道な努力こそが望まれるところである。そしてまた,わが現行憲法が直接民主制的手段を必ずしも十分に採用していることはいえない状況も考慮するとき,代表と民意の乖離という議会主義にまつわる欠陥を補完ないし補正するための原理として,直接民主制を強化する方策も考えておく必要があろう。

〔参考文献〕芦部信喜編『現代法3・現代の立法』1965,岩波書店

法学セミナー増刊『現代議会政治』1977,日本評論社

清水睦編『議会制民主主義』1977,三省堂

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