●耆英 きえい
アジア 中華人民共和国 AD1787 清
1787〜1858(乾隆52〜咸豊8)中国清末の官吏。清朝の宗室,字は介春。父の功で官界に進出,中央諸官職を歴任し,1838年(道光18)盛京将軍。1842年(道光22)広州将軍ついで欽差大臣を授けられ,アヘン戦争中,浙江の沿岸防備につく。チェンチャン(鎮江)陥落に際し,対イギリス懐柔策を上奏,両広総督牛鑑らと和議を折衝,軍機大臣穆彰阿らの支持で清朝を和議に導く。この結果,耆英らが全権となり1842年南京条約調印。翌年欽差大臣として五港通商章程・虎門塞追加条約調印,1844年(道光24)には両広総督に就任,アメリカと望廈条約,フランスと黄埔条約を調印,当時の外交交渉を掌握した。その後北京で中央の要職につく。1850年(道光30)咸豊帝即位で清朝が対外強硬策に転ずると,耆英はかつての軟弱外交の責任を問われ一時失脚した。1858年天津条約の交渉で欽差大臣として起用されるが,イギリスに不信感をもたれ信用されず,勅命にそむいて天津を去り北京に帰る。このために極刑に処されることになったが,その後処刑の代わりに自殺を命じられた。