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●紀伊漁業 きいぎょぎょう

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 『延喜式』には,紀伊国の調として鮨・鰒・堅魚・滑海藻があげられ,また海人の存在も知られている。中世になり網漁も行われるようになり,戦国期には鰯地引網・八手網・四艘張網などの技術的進歩がみられた。このような伝統をふまえ,近世になると,畿内綿作地帯の干鰯需要をまかなうために,九州・関東への出漁を行う漁民が現れた。加太浦の記録によれば,元和年中に薩摩へ出漁しており,まもなく房総3国への出漁がその主流となっていった。初期の出漁は,中世名主の流れをくむ有力漁民が下人・被官的零細漁民20名くらいをひきつれ八手網漁をしていたが,中期になると,新興の網主が江戸・浦賀の干鰯問屋からの前貸資金で網子を雇用して,大規模な地引網漁を行うようになった。出漁民はやがて九十九里梅岸に定着するようになり,出身地名をとった集落を形成した。銚子・野田の醤油業もこのような中で紀州からもたらされた文化の一つである。

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