●咸臨丸 かんりんまる
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徳川幕府がオランダに発注して,1857年(安政4)長崎で引き渡しを受けた木造・三檣バーク型のコルベット艦。1860年(安政7)幕府使節・新見正興らがアメリカと通商条約批准書交換のため,アメリカ艦ポーハタン号で渡米するにあたり,随伴艦として勝麟太郎船将のもとに出航した。日本で難破した測量船のジョン=ブルック船長が便乗して適切な示唆を与え,サンフランシスコに到着した。帰途はハワイに寄港の上,同年中(万延元年に変わる)に帰国して,日本軍艦による初めての太平洋往復を成し遂げた。幕末の動乱期には,榎本武揚に従い,函館にむかったが,鹿島灘で暴風雨に遭遇,下田をへて清水に入った。そこで官軍軍艦の攻撃を受け,死傷者を出した。1871年(明治4),北海道開拓使の輸送船として航海中,北海道で沈没した。従来,諸元について各説がある。たとえば t数も250〜625tまであったが,1969年ロッテルダムの海洋博物館が設計図を捜し出してから,詳細がわかり始めた。
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