●翰林院 かんりんいん
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中国,唐以降に置かれた役所。翰苑はその雅名。唐初より天子の周りには文章,学問に優れた者,卜医書画など技芸に秀でた者が顧問として集められていたが,玄宗は翰林院を置いて彼らを翰林待詔となした。やがて738年(開元26),文詞経学の士をとくに独立させ翰林学士と称して翰林学士院を設けた。一般に翰林院というとこの翰林学士院をさす。学士は天子の詔勅を起草し,政治の諮問にあずかり,その地位ははなはだ尊重されるようになり,宰相の次に位して内相といわれた。宋は唐制を受け,天子に直属して詔勅・国書・大官の辞令など国家の重要事に関する文書を起草し,宰相に属する知制誥あるいは中書舎人の外制に対して内制と呼ばれ合わせて両制といった。宋は学士に定数を設けなかったが,いずれも貴顕の士が任用され栄職として重んじられた。また天子に学問を講ずる翰林侍読学士・侍講学士が置かれるなど機構・職掌の拡充もみた。明・清になると,もっぱら図書の編さん・天子への進講などに従事し,宋のような政治的活動は行われなくなったが,進士上位合格者が翰林院入りするなど,人材をプールする場として,また天子の秘書としてその地位は依然重んじられた。
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