●韓愈 かんゆ
アジア 中華人民共和国 AD768 唐
768〜824 中国,唐後半期の文学者。字は退之。自分では昌黎(河北省易県)の人というがトウシュウ※注1※南陽(河南省南陽県)の人。25歳で進士科に合格したが,官職につけず,長いあいだ地方の節度使の幕客をしていた。803年(貞元19),35歳で国子監四門博士となり,以後,官歴を重ねて吏部侍郎にまでいたった。彼は儒学を尊び,仏教・道教を排撃した。とくに憲宗(在位805〜820)が宮中に仏骨を迎えることに反対して,「論仏骨表」を書いたが,この過激な文章は憲宗の怒りをかい,南方の辺境に左遷される原因となった。彼は南北朝以来つづいてきた文章のスタイルである四六駢儷(べんれい)体を批判し,文章の革新を提唱して,古文復興運動を行った。彼の思想と文学革新の実践は多くの人の支持を得て,宋代にまで影響を与えた。同時代の柳宗元とともに韓柳と称され,唐宋八大家の筆頭に位置づけられている。
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