●丸都城 がんとじょう
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朝鮮,高句麗第10代の山上王から第20代長寿王までの国都。高句麗は鴨緑江の大支流渾江流域の卒本(吉林省桓仁付近)を国都にしていたが,遼東に自立した公孫氏に攻撃されて敗北,王位継承の紛争もあって分裂し,山上王は丸都城に遷都した。ところで丸都という呼称は,中国側の史料による記録で,高句麗側の国内城と一致し,現在の輯安県治の所在である。この輯安県城の北方約3kmのところに山城子山城があるが,この城のある山がいわゆる丸都山である。そしてこの城を,中国側では丸都山城と記録した。高句麗族は,平時には平野部の都城で生活し,有事には近傍の山岳上の城塞に立て籠った。山麓の都城と山岳上の城塞が,一体であり不可分の関係にあった。したがって現在の輯安の地にあった平野部の都城が,国内城であり,また丸都城であった。高句麗側の記録では,丸都山城は尉那巌城ともいっている。