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●関東御分国 かんとうごぶんこく

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 別に関東分国ともいう。鎌倉時代には将軍家御知行国をさし,室町時代になると鎌倉府支配の国々をさす。鎌倉時代には分国名・国数が一定していない。1185年(文治1)8月16日の除目で,源頼朝は,伊豆・相模・上総・信濃・越後・伊予の6カ国を与えられている。国司には御家人が命ぜられ,幕府の命令によって国政が執行されている。ついで翌文治2年3月13日の『吾妻鏡』には関東御分国として,相模・武蔵・伊豆・駿河・上総・下総・信濃・越後・豊後など9カ国をあげている。そのうち1190年(建久1)2月国司源義兼が上総を辞退したため,遠江国が与えられた。これらの国司は幕府の命令をうけて国務を行い,国衙領の荘園化にともない,あたかも分国主のごとき存在となった。それは頼朝の保存した東国行政権の行使と何らかのかかわりをもつ。したがって将軍家御知行国という性格が強かったのではなかろうか。