●カント
ヨーロッパ ドイツ連邦共和国 AD1724 ハプスブルク朝
1724〜1804 ドイツの哲学者,批判哲学の創始者。ケーニヒスベルクに生まれ,同地の大学に入学。クヌッチェンの感化でニュートン物理学を研究,ライプニッツ=ヴォルフ哲学を学ぶ。1755年ケーニヒスベルク大学講師,1770年教授就任論文「感性界と英知界の形式と原理について」をもって哲学正教授となる。1781年『純粋理性批判』によって批判哲学の原理を確立し,つづいて『実践理性批判』(1788)・『判断力批判』(1790)そのほか多くの著作を著す。カントの思想史上の業績はコペルニクス的転回と称せられる。【純粋理性批判】批判とは理性の白己認識によって形而上学の可能性,その源泉・範囲・限界を確立することである。そのためにカントは数学と自然科学の可能性の根拠を探究して,結局それが,主観が客観を構成するという思考法の発見にもとづくゆえんを明らかにして,同じことを形而上学に試みようとするのである。これら三つの学は先天的総合的判断を含む点において共通するところから,カントは批判の基本問題を〈いかにして先天的総合的判断は可能であるか〉として提示し,数学の可能性を先験的感性論において明らかにし,自然科学の可能性を先験的論理学において,素質としての形而上学の可能性を先験的弁証論において,学としての形而上学の可能性を先験的方法論において明らかにする。まず感性は単に感覚を受けとるだけのものではなくて,それに先立って自らのなかに空間・時間という先天的形式をもっており,これによって初めて感覚を受けとることもできるし,とりわけこれにおいて数学が可能となるのである。次に悟性は本来思惟の能力であるが,思惟とは単に概念間の関係をつくりあげるだけのものではなくて,感覚を総合統一する作用であり,具体的には12のカテゴリーとして働くのである。これによって初めて自然一般が構成され,自然科学が可能となるのである。この観点に照らすとき,従来形而上学の対象とされた霊魂・世界・神というものはこのような学的認識の対象ではないことは明らかである。カントによればこの3者は理性が自らの体系的統一の理念を客観的対象とすりかえるという錯覚にもとづくものであり,その真の実在性は実践の領域において確証されなくてはならぬものである。
【実践理性批判】カントは道徳と利害とを峻別する。道徳の本質は理性が直接に意志を規定するところにあるが,人間は本来理性とともにこれに反する傾向性をもっているところから,理性の働きは傾向性という障害につきあたって“なすべし”という当為の定言命法として現れる。この定言命法を守ることによって個人の主観的な確立があまねく妥当する法則となるのである。このようにして理性が傾向性を退けて自発的に道徳法則に従うところに自由の本質があり,それがとりもなおさず善である。カントにおいては善は行為の結果生ずるものでは決してなく,行為の生ずる動機のなかに存する。
【判断力批判】自然と道徳はまったく別の世界であるが,道徳は自然界に実現されなくてはならぬ以上,両者を結合するものがなくてはならぬ。それが美と合目的性の世界であり,その能力は反省的判断力である。まず美は自然や道徳のように客観的存在ではなくて,むしろ主観的なもの,つまり主観の能力の相互的調和にほかならぬ。また有機体や歴史の合目的性も決して客観的法則ではなくて主観の判定の原理であり,構成的原理ではなくて統制的原理である。とりわけ歴史は大芸術家(自然)が人間を陶冶し開化して感性界から理性界へ上りゆかしめる経過とみることができる。このようにしてカントは人間理性の全構造を追求して批判哲学を完成したのである。
〔参考文献〕高坂正顕『カント』1939,弘文堂
岩崎武雄『カント』1958,勁草書房
山崎正一『カントの哲学』1957,東大出版会
原佑『カント哲学の体系的解釈』1963,理想社
ヘンリッヒ,門脇卓爾監訳『カント哲学の体系形式』1979,理想社