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●桓帝(後漢) かんてい

アジア 中華人民共和国 AD133 後漢

 133〜167(陽嘉1〜永康1)在位147〜167(建和1〜永康1)中国の後漢第10代の皇帝。諱(いみな)は志,章帝の首孫。父は蠡吾(れいご)侯劉翼である。質帝に跋扈(ばっこ)将軍と罵られた外戚梁冀は,質帝を鴆殺(ちんさつ)し,李固らの反対を退け蠡吾侯劉志を帝位につけた。ときに桓帝15歳であった。梁冀は桓帝擁立の功により専横をきわめ,梁氏一門と縁故の者で朝廷を占めた。これに対し桓帝は,単超(ぜんちょう)・唐衡ら宦官とはかり,梁冀を排撃,自殺させた。以後外戚の禍は収まったが,宦官の勢力が増大し,後漢王朝を傾ける。その宦官に対立したのが,陳蕃李庸らの名士であり,“清流”と称され,“濁流”の宦官を非難・攻撃した。桓帝は,宦官にそそのかされ167年,“清流”人士を“党人”(悪人の仲間)と呼び,禁錮(仕官し得る身分を刹脱)した。これが第1次党錮事件である。のちに禁錮は解けたが,外戚・宦官・党人の政争がつづき,桓帝の治政より後漢は衰滅にむかった。