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●灌頂 かんちょう

アジア 中華人民共和国 AD561 南北朝時代

 561〜632 俗姓は呉氏。臨海章安(浙江臨海)に生まれ,その地で出家した。のち天台山に赴きチギ※注1※に教えを受けてからは侍者となり,つねに身近に師の教えを聞き,かつ記録した。法華三大部と呼ばれ天台教学の根本となる『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』は,すべてチギ※注1※の講述を灌頂が筆録したもの。その間,南朝陳の滅亡,隋による天下統一という激動の時期にチギ※注1※に従って諸方を遊歴した。新占領地の総司令官として揚州(江蘇揚州)に赴任した隋の晋王楊広(のちの煬帝)とチギ※注1※とのあいだに交された書簡は,灌頂の編さんになる『国清百録』のなかにみることができる。チギ※注1※の没後は天台の教学の宣布に努め,皇太子,ついで皇帝となった楊広とはつねに一定の関係を保った。隋末の混乱をへて,唐の貞観6年,72歳で没した。著書は『大般涅槃経玄義』『同玄疏』『隋天台智者大師別伝』など,のち章安大師と呼ばれ,天台宗第5祖と称される。

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