●寛政異学の禁 かんせいいがくのきん
アジア 日本 AD
1790年(寛政2)江戸幕府が朱子学以外の学派に対して出した学問統制令。老中松平定信が行った寛政の改革の一環として発布された。当時,社会的矛盾から起きていた封建道徳の衰退を,定信は古学派・折衷学派などの隆盛に原因があると見なし,開幕以来の官学である朱子学を全国に振興することを主張する柴野栗山らの意見を容れて,朱子学をもって正学となし,そのほかの学派を異学として排斥するという禁令を出したのであった。ついで,朱子学を行っていた林家の湯島の聖堂に付属する家塾を,幕府の学問所として昌平黌(しょうへいこう,昌平坂学問所)と改めた。また定信は,旗本らに行う学問吟味(官吏登用試験)を朱子学をもってすることとした。さらに,1795年(寛政7)諸藩に対しても異学者を登用することを禁じた。これらによって藩学を朱子学とする藩が多くなり,朱子学以外の学派は衰退を見せた。