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●顔真卿 がんしんけい

アジア 中華人民共和国 AD709 唐

 709〜785 唐の政治家。また書道の達人として知られる。字は清臣。臨沂(りんき,今の山東省の地)の人。早くから博学の人として知られ,玄宗の開元年間(713〜741)の進士,さらに上級試験に合格して侍御史となったが,権力者の楊国忠に嫌われて平原大守に出された。平原(今の山東省の地)に赴任した後,安禄山の反乱を察知して,あらかじめ防御の態勢を固め,安禄山の乱に際しても平原のみは侵略されずに全きを得た。その後,従父兄の顔杲卿と協力して安禄山の討伐にあたり,戸部侍郎・河北招討使となる。その後,鳳翔(陝西省)の粛宗の行在所にはせ参じて刑部尚書(当時は憲部尚書と称した)を授けられ,さらに御史大夫となった。その後は中傷にあって地方官に出されるが,代宗のときには尚書右丞となって,魯郡公に封ぜられた。李希烈(?〜786)が反乱して帝位を僣称し,国号を楚としたとき(784,建中4)には,李希烈の説得にあたったが,逆に李希烈に捕らえられて殺されてしまった。徳宗はこのしらせを聞いたとき,大いに悲しんで朝を廃すること5日,顔真卿に司徒を追贈した。平素優れた人格者として知られ,人々から顔魯公と呼ばれていた。著に『顔魯公集』がある。楷書・行書・草書の名家としても人々の尊崇を受け,とくにその草書は,筆力雄勁として尊ばれた。その書は世に宝とされ,「顔法」ということばも生まれ,唐代の書道に強い影響を与えた。没後,文忠と諡された。

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