50音順    検 索

●韓国統監府 かんこくとうかんふ

アジア 日本 AD 

 1904年(明治37)2月の日韓議定書,8月の第1次日韓協約によって,韓国(李氏朝鮮が1896年(明治29)に改称)の植民地化を進めていた日本政府は,1905年(明治38)11月韓国政府とのあいだに第2次日韓協約(韓国保護条約,乙巳保護条約)を強制的に結ばせた。これによって1906年(明治39)11月に設置された韓国統監府は,統監の下に総務・農商工・警務・外務の4部を置き,統監は,単に外交権を掌握するだけではなく,皇帝に内謁する権利,在来の諸協約・議定書によって内政の改善に有効な忠言をなす権利,韓国にいる日本の官憲を統轄し,必要時には軍隊を指揮できる権限をもっていた。外交権の喪失は韓国の植民地化をさらに押し進めることとなった。初代統監には第2次日韓協約の特命全権大使伊藤博文がなり,彼は1907年(明治40)6月に発生したハーグ密使事件を理由に,皇帝高宗を退位させ,第三次日韓協約を韓国政府に締結させた。これは,法令の制定・行政上の処分・高等官吏の任免・外国人の雇用において統監の承認が必要とされるほか,日本人官吏の採用が決められ,さらに軍隊の解散,政府高官・主要裁判官に日本人を配置することが強行された。統監府は,同年警察権の一部,1909年(明治42)司法権を掌握した。日韓合邦(併合)は同年4月にはすでに決定されていたが,7月に伊藤の後任となった第2代統監曽禰荒助はそれには消極的であった。日本政府は1910年(明治43)5月に曽禰を退け,陸相寺内正毅に統監を兼任させ,警察権の全てを掌握させた。同年8月日本政府は「韓国併合に関する条約」を韓国政府に調印させ,韓国を併合した。これによって韓国統監府朝鮮総督府と改称し,1945年(昭和20)8月まで日本の朝鮮支配の機関としてその役割を担った。