●玩具 がんぐ
AD
遊びの道具。おもちゃ。本来は老幼をとわないが,おもに子供の遊び道具をいう。子供は石や棒などの自然物をそのまま用いて遊んだり,あるいは台所用具などの家庭用品を利用してよく遊ぶ。これらの道具はすべて広い意味で玩具といえるが,一般に玩具は最初から子供の遊び道具となることを目的としてつくられるものをいう。玩具はつくり手によって基本的に二つに分けられる。一つは子供たちが自分たちでつくる玩具。もう一つは大人が子供たちにつくって与える玩具である。また玩具はそれが商品として販売されることを目的としてつくられるかそうでないかによって,商品玩具と非商品玩具とに分けられる。玩具は古くからその時代により世界の各民族のあいだでさまざまなものがつくられ,種類や分野も広くその性格も多様である。しかし各民族の玩具に共通してみられる特徴は,玩具がその民族のもつ物質文化のうちから子供の興味を引きつけるものを中心に模倣なり転用なりされて成立していることである。子供はもともと知的好奇心があり大人社会のあらゆることに興味をもち,その真似をしたがる存在である。玩具の多くはそんな子供の欲求に応じて,大人社会の事物の代用品(その多くはミニチュア)としてつくられたり,転用されたものである。この種の玩具で各民族に共通してみられるのは武器のおもちゃであろう。弓矢や剣に始まりピストルや機関銃など武器の玩具は数多い。また台所用具を中心とした家庭用具のミニチュアは,ままごと遊びのおもちゃとして多くの民族のあいだに存在する。このほか船や車それに馬も含めた乗物の玩具もポピュラーなものである。動物や人形の玩具も実物に範をとったミニチュアであるが,発生的には呪物や埋葬物などからの転用である。転用から成立した玩具にはこのほか占いの道具や信仰・祭礼の用具などから由来しているものが多い。また玩具にはこのほかに,音を発したり,動きを伴ったりするものが多いのが特徴であるが,子供を対象とするものだけに当然といえる。【歴史】玩具は遺物として残るものが少なく,また玩具と思われるものが発見されても,呪物や奉納物との区別がつきにくいためそれと特定できないものが多い。したがって玩具の歴史的研究は今後に残された課題である。乏しい資料からいえることは,古代エジプトにはクラッパー(鳴りもの)・手まり・コマなどがあったこと,古代ギリシアやローマには乗って遊ぶ木馬や着せかえ人形などがみられることなどである。古代中国にもコマ・まりなどのようにギリシア・ローマと共通するものがある一方で,凧など中国起源の玩具もある。玩具の商品的生産が本格化したのは,14世紀から16世紀にかけてのドイツで,それ以後ヨーロッパを中心として玩具産業が発達した。
【日本の玩具】縄文時代の発掘遺物に土偶・土獣・ミニチュア土器などがみられるが,これらは呪物や祭祀用具と考えられており,玩具へ転用された確証はない。法隆寺献納宝物にみる石名取玉は,水晶の正六面体で聖徳太子幼時の玩具に比定される。「なんこ」と称する数あてに類する遊びに用いられたと考えられる。『日本書紀』や『万葉集』には毬の遊びがみえ,また『和名類聚抄』に鞠(万利)・独楽(古末都玖利)・紙老鴟(師労之)などがあげられ,平安時代までにマリ・コマ・タコなど現在にまで伝わる玩具の祖型がかなり出揃った。これらの多くは中国大陸から渡来したものである。また『源氏物語』に雛遊びの記述があることから,当時すでに玩具化した人形や調度があったことがわかる。室町時代になると『下学集』に羽子板がみえ,また張子の技法も伝わって「起きあがり小法師」などが生まれた。江戸時代に入ると,玩具は大衆化し寺の縁日・神社の祭礼などで売られた。『江都二色』には88種の玩具図が描かれているが,これらの多くは子供の健康を願ったり災厄をはらう縁起が付与されているのが特徴である。明治以降になると金属・ゴム・セルロイドなど新材料による玩具が現れ,また教育玩具も盛んになった。日本製玩具は昭和に入ると海外市場にも進出,第二次世界大戦による中断をのりこえて発展し,いまでは日本は世界有数の玩具輸出国となっている。
〔参考文献〕斉藤良輔『日本のおもちゃ』1969,岩崎美術社
![]()