●環境アセスメント かんきょうアセスメント
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都市計画などの開発行為および規模の大きな工業地帯の開発などを行ったときに,はたしてどのような影響を自然環境に及ぼすであろうかということを調査することを,環境アセスメントおよび環境事前調査または影響評価などという。環境庁の環境アセスメントに対する案は,1974年(昭和49)6月27日に,中央公害対策審議会における環境影響評価小委員会がまとめた「運用指針」のなかで,〈開発行為が大気・水・土・生物などの環境に及ぼす影響の程度と範囲,その防止策などについて,代替案の比較検討を含め,事前に予測と評価を行う〉から,財界および通産省などから強力な反対をされ,大幅に後退してしまった。すなわち住民参加の当然の原則はもちろんのこと,第三者が行うところの客観的な評価および公開すら含むことはできなかった。しかも都市計画事業すら環境アセスメントの対象から除いてしまうなど,結局は住民の熱い期待に対して不満足の感を与えるものになってしまった。このように譲歩に譲歩を重ねた環境アセスメント法案は,それでも,さきに述べたように〈開発にブレーキをかける〉と強弁する財界および通産省の,ねばり強い反対にあってしまい,いくら説得を重ねても,肝心の政府部内の意向がまとまらず,5回にわたって国会に提出することが,見送られてしまった。地方自治体は,このような国のもたつき姿勢に対して,とうとうしびれを切らせてしまい,最初に川崎市が1977年(昭和52)から,第2番目としては,1979年(昭和54)から北海道においても,それぞれアセスメント条例を施行することに踏み切ったのである。このようにして地方自治体における環境アセスメントを施行するということに勢いづき,ついに1981年(昭和56)7月には東京都がこれに同調し,やがて神奈川県も1981年(昭和56)10月9日,環境アセスメントの案例を施行していった。国のほうの状勢をみると,やっと1981年(昭和56)の春における第94回通常国会に対して,環境アセスメント法案がやっと提出され,日の目をみるかと一時は思われたが,ついに審議すらされないうちに,第94国会は会期切れとなってしまった。そして環境アセスメント法案は,第95回臨時国会から第100回臨時国会へと順送りされていたが,1983年(昭和58)11月,国会が解散されるとともに,ついに廃棄という不幸な結末をたどっていった。その上,環境アセスメント法案は,将来のことは別として,ここしばらくは,国会には提出はされないのではなかろうかといわれている。