●勧学院 かんがくいん
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[1]大学別曹の一つ。821年(弘仁12),藤原冬嗣により創設。大学の南に位置したことから南曹と呼ばれ,また,院の維持管理には藤原氏の氏長者があたり,職員は氏寺・氏社関係の事務をも担当したので氏院とも呼ばれる。一時は興福寺や春日神社などを管轄して政治にも関与していたが,その後,学生の教育のみを専門とし,平安時代を通して,多数の文章得業生・文章生を育成して隆盛をきわめた。〈勧学院の雀は蒙求をさえずる〉(門前の小僧習わぬ経を読む,と同義)という俗諺もあるとおり,『蒙求』のような初学書を学ぶ幼年者も少なくなかったが,鎌倉期には衰退し,室町時代に消滅したといわれている。[2]藤原氏の勧学院に倣って,いくつかの大寺院の山内に設置された宗学振興のための付属機関。高野山・園城寺・東寺・興福寺・東大寺などをはじめ,地方の諸大寺においても学僧の養成・研修施設として機能し,中世仏教学研究の基盤となった。