50音順    語句から検索する

●灌漑(日本) かんがい

アジア 日本 AD 

田畑を耕作するために、ぜひとも必要な水を引いてきて、田畑にそそぐことをさして灌漑という。すなわち、言いかえれば、作物が育ちやすい環境を作る目的をもって、水を農耕地に供給することである。灌漑を、さらに灌漑するための土地によって二つに分けて、水田灌漑と畑地灌漑と区別して呼んでいる。

【水田灌漑】いろいろな社会的および自然的な条件によって、わが国においては、農業が昔から水田を基本として発達するとともに進歩を重ねてきたため、とくに傾向的に考察してみると、やはり水田灌漑が重視されてきたという歴史的な事実は否定しにくい。

 水稲の苗は、農民が水田に丹精込めて植えてから、灌漑を要する日数は約90日間が体験的に必要だといわれており、収量に多大の影響を与える条件の主要なる一つに灌漑が存在することは、すでに述べたとおりである。

 なお水稲の栽培は、わが国においては、その一つの大きな特徴として、水を満々とたたえた状態に、灌漑期間の大部分を保つということにあることはよく知られている事実であるが、本来水稲がどうしても必要不可欠としている水だけではなく、当然のことではあるけれども、時々刻々土のなかに徐々にしみ込むとか、水面から蒸発していく水なども補充し、供給する必要があって、このため1日あたり大体15mmから25mm程度の灌漑用の水を、どうしても必要とすることが多いといわれている。

 水は自然に降る雨水だけでは足りない場合が多く、いろいろな河川および池などから人工的にわざわざ水路をつくって、水田のために灌漑用の水を取り入れるなどの工夫もしなければならない。しかし、それでも水田が水不足に悩むことも多いといわれている。

 灌漑の効果はいろいろあるが、たとえば、灌漑水中の石灰および珪素ならびにマグネシウム・燐酸・カリなどの肥料分が、土のなかに水と一緒になって、しみ込んでいって補給作用を果たすとともに、保温の効果もあり、病虫害や雑草の防除はいうに及ばず、土壌のなかにひそんでいる有害物質の濃度を、うすくするなどという効果をあげるにも有効な作用を果たしている。

 もっとも、昔の日本における灌漑のために水を利用する方法は、自然の湿地を利用することであって、この方法は、弥生時代においてはふつうに利用された方法であった。地形上の湿地としては、谷および洞ならびに自然堤防のまわりの湿地が、はじめに古代の人々によって利用されていた。

 その次には、谷口をふさいだ溜池が、鉄製の農具(鉄の鍬)を使用することによって建設され、このやり方が、基本的な灌漑の方法として、律令制の時代から荘園前期までにおいて使用されるようになっていた。小さな河川の灌漑が、山城および大和はもちろんのことであるが、諸国における国府の周辺でも早い時期から始まったが、しかしながら、これよりもやや規模の大きい河川の灌漑が、一般に行われるようになったのは戦国時代以後まで待たなければならなかった。

 そして江戸時代の初期のころにおいては、ついに中河川および大河川の谷間から、平地への出口で水を取り、洪積台の地上にまで水を引いてきて、水田に灌漑する方式がはじめてできるようになり、このため、すでに造りあげられていた灌漑用の溜池も、大・中・小の諸河川と結びつける工事も成功するようになり、ついに多数の溜池群を建設することがようやく完成していった。

 このような治水工事が開発され進行することによって、大河川下流の沖積平野における開発計画は、はじめて一般化へ方向づけられ、元禄(1688〜1703)ごろから部分的に始まっていった。そして、これが本格化し安定化するのは、やはり明治以降から今日にかけてであるといえよう。

 灌漑用水管理の主体に村落がなるという動向は、戦国時代(応仁の乱の後から、豊臣秀吉が天下を統一するまでの時代)末期におけるより後のことであって、用水管理権を実質的につかんだ社会層が村落結合の中心になったのである。

 そこにおいて定められた水利用の慣行は、ついにながく固定化するという道をたどり、それとともに、稲作の技術までも固定化するという傾向を、今日に及ぶまでもちつづけている。

 すでに述べたように、明治末年以降における、(河川法の適用される河川を中心とする)大河川に関する治水の進行ぶりは、水源からの取水に関するすべての施設を、まったく近代的な工法に変化させてしまった。

 これらに対する補助金関係の政策や、幹線水路および分水施設はやはり近代化の道をたどったが、その一方において、時代おくれの慣行が個別農家の水利用においては強くかつ深く残存するとともに、これらがもたらす、昔からの閉鎖的な村落社会を形成する基盤と条件とを、水争いに関しても残している。

 しかしながら、これらの問題に関してもやはり希望的な光も見られる。すなわち、第二次世界大戦後において、灌漑方式が数少ない地帯では、規模の大きな国県および団体の全体系的な土地改良事業がやっと実行に移され、これらの当然の結果として、昔からの灌漑用水の利用慣行がだんだんと崩れ去っていく条件が形成されつつあるといえよう。

【水田の整備】必要以上の水を水田に供給しなければならない場合としては、第1に水田の土の水もちが悪い場合が考えられるであろう。さらに冷害というイネの大敵があり、水田における水の温度がなかなか上昇しにくくなって冷害がおきたり、肥料分が流れ去ったりするために、水稲の生育が抑えられるという事態も発生することが見られる。

 これらを防止するための方法としては、たとえば粘土およびべンナイトなどを、水田の土に加えることによって、水田の水もちをかなりよくすることができるので、これらの方法もわが国においてはときどき取られ、しかもかなりの成果をあげてきている。

【わが国の畑地における灌漑】水田の場合とは違って、わが国における畑地の灌漑は、畑地における作物が生育するために、必要な水分を地表から30cmから50cmぐらいの根張りの部分に補給をつづけることによって、ふつうは適当にうるおしているというのが実情である。

 わが国における全国平均、約1,600mmが年間の降水量であるといわれているが、それらの降水における分布をみると、5月から8月までの最も暑いといわれている夏作における期間は約660mmであって、これに関して、畑作物が必要とする水量は約500mm程度の場合が多いといわれており、灌漑の必要がないように思われる。しかしながら、7月と8月はともに降り方が不安定であるとともに雨が少ないため、海岸砂丘地や火山灰地帯などは土の保水力に乏しく、乾燥の害を受けやすい作物には灌漑をする必要がおきてくる。

 1日に消費する水量は、畑地においては、野菜類の場合には平均約3mm、陸稲においては6mm程度であって、いずれも数日おきに約25mmから約50mm程度の水を灌漑することによって、太陽と水の恵みにより作物の生育を増進することができる。

 これら畑地の灌漑をすることによって、干害を未然に防止することができるだけではなく、このほか、地温における調節および灌漑水中の無機成分による土地の改良、ならびに風食や凍霜害(とうそうがい)の防止に役立っている。

【灌漑法】わが国においては、おもにスプリンクラー灌漑法が全国各地で行われている。

 スプリンクラー灌漑法とは、強力な圧力のかかった水をスプリンクラーにおけるノズルから噴射させることによって、人工の雨のようにして植物体のうえに降りそそがせるものである。スプリンクラー灌漑法の長所としては、傾斜地および砂地においても実行できるとともに、畑の整地もとくに必要としないため、近年はこの方法を取り入れる場合が増加してきている。

 次に、1952年(昭和27)ごろから畑地灌漑が集団的に行われるようになった。最初は、もっぱらうね間灌漑法が使用された。これは水をうね間に流し込むやり方で、うねの長さ、流し込む水の量や勾配を適当に調節しなければ水の損失が大きく、砂地では実施がむずかしい。また、多くの灌漑労力を必要とするため、排水にも注意が必要である。


旅研トップページ