●カルマル連合 カルマルれんごう
ヨーロッパ デンマーク王国 AD1397
1397〜1523年のあいだ続いたデンマーク・ノルウェー・スウェーデン三国の同君連合。【連合の成立】1319年以後スウェーデン・ノルウェーは同君達合を形成し,14世紀中ごろにはマグヌス7世がスウェーデンの,その子ホーコン6世がノルウェーの王位にあった。しかしスウェーデンでは貴族が反乱をおこし,1363年マグヌス7世を廃位してマグデブルク公の子アルベルトを国王に立てたことにより,この同君連合は解体した。ノルウェー王ホーコン6世はデンマーク王ヴァルデマール4世の娘マルグレーテを王妃としていたが,1375年にヴァルデマール4世が死去すると,彼女は故国へ帰ってその子オーラフ(6世)をデンマークの王位につけ,摂政として実権を握り,1380年夫のホーコン6世の死後はオーラフ6世がノルウェー王位をも継いだので,彼女はデンマーク・ノルウェーの事実上の支配者になった。1387年オーラフ6世の死後,彼女はデンマーク・ノルウェーの貴族・高位聖職者会議によって両国の摂政としての地位を認められ,事実上の女王として両国の統治を継続したが,アルベルト王に対して反乱をおこしたスウェーデン貴族の請いを容れて,1389年アルベルトの軍を破り,スウェーデンの摂政ともなった。彼女は同年,姉の孫に当たるポンメルン公エーリックをノルウェー王とし,ついで三国の連合を恒久的なものにするためにデンマーク・スウェーデンでもエーリックの王位を承認させ,さらにエーリックが15歳を迎えた1397年,スウェーデン南部の港都カルマルに三国の貴族・高位聖職者の連合会議を召集して,エーリックを連合国家の国王として推戴することを認めさせた。これが〈カルマルの会盟〉であり,その決定にもとづいてエーリックはルンドとウプサラの大司教の手で戴冠したが,この三国の同君連合が〈カルマル連合〉である。三国の恒久的連合を確認する文書も作成されたが,ノルウェーの代表が署名することを拒んだために,それは発効せず,カルマル連合は確固たる法的基礎を欠いたまま発足した。
【連合の解体】同君連合とはいえ,三国のなかではデンマークが優位に立ち,他の二国は従属的な地位を強いられた。マルグレーテはスウェーデン・ノルウェーの大司教,司教職にデンマーク人を任命してそれらを両国統治に利用し,また両国の貴族の多くの封土を没収して王室領に加えるなどの政策をとった。そのためマルグレーテの死後,両国,とくにスウェーデンでしばしば反乱がおこったが,1435年反乱の指導者エンイエルブレクトのもとで貴族・高位聖職者のほかに市民・農民の代表を加えた国会が召集されたことは,スウェーデンの国民主義の発達の上で重要な意味をもつ。15世紀の中ごろ以後,スウェーデンの貴族は彼らのなかから摂政を選び,その摂政が国会の協賛を得て統治を行い,連合からの離脱の傾向を強くした。1520年デンマーク王クリスティアン2世がスウェーデンの内訌に乗じてその征服を強行したとき,スウェーデンの貴族・民衆はグスタヴ=ヴァーサの指導のもとに蜂起し,デンマーク勢力を国内から駆逐して,1523年グスタヴ=ヴァーサを国王に推戴した。ノルウェーはなおデンマークとの同君連合にとどまったが,ここにカルマル連合は解体することになったのである。