●ガルダン
AD1644
1644〜1697 オイラートのジュンガル部の部長,バガトゥル=ホンタイジの子として生まれ,僧侶となってチベットにいたが,1671年兄のセンゲが殺されたので,ダライ=ラマの後援を得てジュンガルに帰り部長となった。1677年ホショット部長オチルトゥ=カガン(鄂斉爾図)を倒して自からボショクトゥ=カガン(博磧克図)と称し,オイラートを支配した。また兵を出してカザーフ部を討ち,カシュガル・キルカンド・ハミの諸国を支配した。1688年ハルハのトシェト(土謝図)とジャサクトゥ(札薩克図)のあいだに戦いが始まると,彼はその機に乗じて3万人の兵をもってトシェト・チェチェン(車臣)両部を侵略したので,ハルハ軍は清の辺境に逃げて清朝に保護を求めた。1690年再びハルハを侵略し,さらにウルフィ河畔で清軍を破って南下し,ウラン=ブトゥンまで進んだので康煕帝は親征の軍を出したが,結局戦わずに和を結んだ。しかしガルダンはその後もハルハを根城としバヤン=ウランに駐軍したので,1696年(康煕35)清軍は再びガルダンを攻め,ジョー=モドの戦いでガルダンは大敗し,部下にそむかれ,翌1700年アチャ=アムタタイで服毒自殺した。