●カールスバートの決議 カールスバートのけつぎ
ヨーロッパ ドイツ連邦共和国 AD1819 ドイツ連邦
1819年,ドイツ諸邦政府代表がカールスバート(現チェコ西端の都市,現名カルロヴィ=ウァリ)で,自由主義・民族主義弾圧のためにした決議。ドイツ統一運動が学生のあいだでおこり,ブルシェンシャフト運動となって,ヴァルトブルク祭典を1817年におこし,ついでザントによる,ロシアのスパイと噂された文士コッツェブーの暗殺事件が1819年におこった。スウェーデンはこの事件をとらえて諸政府代表を,1819年8月にカールスバートに召集し,ブルシェンシャフトを禁止,教授・学生の思想統制,言論・出版の取締りと検閲を定め,マインツに連邦中央常設委員会を設けて,革命の監視を実施することを,ドイツ連邦議会において決議させた(9月)。この決議の有効期間は5年(1824年にさらに5年延長)。結果,ブルシェンシャフトは消滅し,自由主義運動は大きく後退した。ウィーン体制を象徴するもの。