●カラーカウア
北アメリカ アメリカ合衆国 AD1836
ハワイ王朝第7代の国王で,前王ルナリロにつづく国会公選の王である。フルネームはデビット=ナライ=ア=エフ=オ=カ=ラニ=カラーカウア(1836〜1891)。統治は1874〜1891年の17年間てある。このあいだに,ホノルルでは電気が通じたり,また鉄道が各地に敷設されたりするなど,表面は華やかな近代化を遂げ,一方では「カラーカウアのルネサンス」と呼ばれるハワイ古文化の復活をし,目立つ活躍をつづけた。しかし,裏面では白人実力者たちの圧迫に屈して,屈辱的な押しつけ憲法に署名しなければならなかった。カラーカウアがメリー=モナーク,「陽気な君主」と呼ばれた一面には,こうした欝屈した心を晴らす裏返しのふるまいがあったようである。王室専属のフラ舞踊団や合唱団をつくったり,作曲に熱中したのは現実からの逃避だったのかもしれない。また,世界旅行の途次(1881年),日本の皇室から姪のカイウラニ王女に王婿を迎えようと(山階宮定磨,のちの東伏見宮依仁親王)申し出たり,サモア王と協力してポリネシア帝国の建設を夢みたのも,弱体化するハワイ王国を安泰ならしめようとする焦りからでたものであった。こうしたことから,彼をポリネシア人らしい稚気あふれた夢想家と評する後代の歴史家もいる。しかし,こと志とすべて違って,カラーカウアは1890年12月20日,肝硬変に尿毒症と脳溢血を併発し,サンフランシスコで客死した。カラーカウアは「陽気な君主」とは裏腹に,夢実らぬ皇帝円舞曲を演じつづけた,太平洋の小王国の悲劇の国王だったといえる。〈私の会った中で紳士の最たる人,非常に教養のある方だが,しかし,なんとまあ,よく飲むことよ!〉(ロバート=スティーブンソン)〈真に気さくな人,稀にみる洗練ぶり。いとも気軽に玉座に在わす時と同様,仲間と『陽気なラム』をたしなまれる〉(チャールス=ワーレン=ストッダード。作家)。
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