50音順    検 索

●賀茂真淵 かものまぶち

アジア 日本 AD1697 江戸時代

 1697〜1769(元禄10〜明和6)江戸中期の国学者・歌人。名を政躬・政藤・政成,田安家出仕前後は真淵を称している。通称庄助・三四・与一を経,田安家出仕以後は衛士。父は遠江国敷知(ふち)郡伊場村賀茂新宮の神職岡部政信。生母は近郷の長生郡天上村の名家竹山孫左衛門茂家の女。若くして真淵は荷田春満門下の杉浦国頭・森暉昌等に国学や和歌を学び,また古文辞学派の渡辺蒙庵(春台門)に漢学を学び,漢詩をよくし淞城と号した。37歳のとき,春満に国学を学び契沖にも私淑した。1737年(元文2)江戸に出府,加藤枝直や青木昆陽と交わった(『加藤枝直日記』)。41歳であった。1746年(延掌3)50歳のとき,徳川吉宗の子,田安宗武に仕え,荷田派の国学と契沖の文献学とを融合した独自の学問を樹立した。1752年(宝暦2)『万葉新採百首解』成稿を機に,春満の万葉古語の研究を継承し,翌年『伊勢物語古意』の草稿を脱稿,1757年(宝暦7)には『冠辞考』を出版,1760年(宝暦10)には『万葉考』を脱稿と,宝暦中は古語の闡明に心血を注いだ。同年11月隠居を願い出て64歳で田安家を辞した。1764年(明和1)日本橋浜町に住み「県居」と称した。明和年中には古語を闡明にした上で『古事記』や祝詞の研究をとおして古道を明らかにする方向に進んでいった。『因意考』が1765年(明和2)に成立,『祝詞考』『新学(にいまなび)』はこの時期に成稿。1769年(明和6)10月30日没,73歳であった。

〔参考文献〕井上豊『賀茂真淵の業績と門流』1966,風間書房

井上豊編『賀茂真淵全集』1977〜,続群書類従完成会

01