●蒲生君平 がもうくんぺい
アジア 日本 AD1768 江戸時代
1768〜1813(明和5〜文化10)江戸時代後期の儒学者。名は秀実,字は君平とか君蔵と呼ばれた。灯油商福田又右衛門正栄の四男として宇都宮に生まれ,のちに,自ら蒲生と氏を改める。14歳で鹿沼の儒学者鈴木石橋,江戸では山本北山に師事し,国史や古典を学ぶ。1790年に敬愛する高山彦九郎を石巻に訪ねるが会えず,帰路仙台で経世家林子平に会って国事を論じる。若いころから全国をめぐり,荒廃した皇陵を憂い,1801年に幕末尊王論の先駆と称された『山陵志』を書いた。また,1807年にはロシア軍艦が北辺を脅かすのを知り,北辺の海防論『不恤緯(ふじゅつい)』を出した。水戸学の影響で尊王の志が強く,水戸の藤田幽谷とも親交があった。1810年江戸に閉居し,著作に専念した。主な著に『皇和表忠録』『女誡国字解』『職官志』『修静庵遺稿』などがある。また,林子平や勤王家高山彦九郎らと並んで“寛政の三奇人”と呼ばれていた。
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