●神役 かみやく
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地方町村の神社の祭祀について,その神事の主役をつとめる者,これを補佐して古例により祭儀に加わる諸役の人々をいう。由緒正しい名神大社の司祭以下については,古来諸社に宮司また神主の職制が整っているが,ここでは取り上げない。もともと神の祭りにはその時期があり,地縁もしくは血縁の由縁のある人々が集まって行った。そのため祭儀の運営は,仲間である住民の長老か同族の長者かの代表が掌握し,人々を率いて毎度整然と遂行した。つまり資格ある者がその地位を保ち,年長者が最適任としてことに当たったと考えられる。老人の祭祀権は,さまざまの変遷をもって今も存続している。古老・年寄仲間またオトナ衆などの名称を伝え,ことに祭りにおいて明瞭になる。集団でも最長老が代表権をもち,のちに交替してつとめるようになる。祭りを受ける神は人々の守護神・同族の祖先神など身近な親しみのある存在と考えられたから,祭る者には一様に司祭の資格があったわけで,とくに老人が重んぜられた。特定の家系の当主が,祭りの初めに代々預かっている鍵をもって神殿を開く慣行がある。こういう特権者をカギトリ・カギヌシ・常頭屋と呼んだ。年齢の老壮にかかわらない。祭神との縁故また村落社会の指導者の家系によるものであろう。こういう家筋から江戸時代に村の神職家になったり,分家か家人を専門職に仕立てた例もある。もとより京都の白川家・吉田家など神祇官当路の裁許を必要とした。年寄の一老が終身司祭の特権を手放すと,やがて仲間の合議により年臈順に次第交替し勤任し退隠することが始まった。のみならず,老人衆は上座の指導者特権のみを保持して,神主役は村内の壮年戸主層が受け持つ慣行が成立した。宮座(みやざ)制が発達した地方にはこのような類例は多い。1年を限って神主となる。順番は出生届出の前後により定まるが,住居の家並によって次々つとめるもの,神意を占うと御幣を振り神慮に合った人を黙定するなどもあった。ひとたび奉任すると候補者の列から退き,一代にひとたび選ばれるのを村に生まれた者の資格充足の目標とした。これを長子のみに与えられた特権とするところが多かった。もし他家・他村から養子となって入家した若者は,入家の年に出生した者と同列に扱われたので,神主役はなかなか廻ってこなかった村もある。これに対して一方,5歳頭屋などと称し,幼童に神事の大役を与えることもあった。無心の少年に神意が下ったのである。これは父祖の扶助を予想していたともいえる。これらの神主役は祭りの費用を支弁することも多くあった。神主をつとめるに際してその当番の期間中は厳格な物忌潔斉を行ったところが少なくない。多くは1カ年,前任者が無事大役を課たした翌日から,祭りの日までの慎みが保たれた。もし家族に死穢が生ずると,ただちに神役は解除された。こういう人々を通例一年神主・トウ人トウ屋ともいった。トウは頭の字を用い,当・祷とも書く。頭屋神事の責任者・神を祭る者の家ではその資格の標識に,近畿を中心とする地域ではオハケを立てて斎った。また物忌みとして沐浴のみならず,髪を切り髭を剃ることをせず,村の外へ旅立たず,農耕にも不浄にも触れなかった。ひたすら神に仕える清浄の生活を保った。のち職業的な神職が祭りに関与招致されると,村人神主は祭式の権能を神職に譲り,もっぱら祭りの準備・神供神酒の用意・神域の清掃などを受け持った。なお宮座制では,いつのころからか神事の特権をもつ根本住人が後住の人々と区別して株座を形成した。それが東西・左右などに分かれて複数の座を併存し,本座新座が並んで一般加入を認める村座に変化したり,獅子・太鼓の役を受け持つ芸能の役・巫女を選ぶ仲間など祭事の分業もしだいに明らかになった。〔参考文献〕柳田国男「日本の祭」『定本柳田國男集10』1969,筑摩書房
肥後和男『宮座の研究』1941,弘文堂
井上頼寿「京都古習志」1940,館友神職会