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●髪型 かみがた

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 【日本の髪型】5〜6世紀ころの髪型は埴輪人物像によると,男性は〈美豆良〉(みずら),女性は後世に〈島田髷〉と名付けられた髷である。飛鳥・奈良時代になると,隋・唐の影響を受けて,大陸模倣時代となる。正倉院の〈鳥毛立女屏風〉や薬師寺の〈吉祥天像〉などから,女性は頭上に高い髷を結った〈高髷〉や,左右に二つの髷を結った〈頭上二髷〉,または〈垂れ髪〉など,年齢や身分の差が表れるようになった。603年(推古天皇11),男性は隋の風俗を模して,冠服の制が行われ官職の者は冠をかぶることになり,髪形は冠下に一髷,つまり〈頭上一髷〉になった。

 平安時代に入って遣唐使派遣が停止されてから,我国独自の帰属文化が発達した。女性は十二単と呼ばれる襲装束を着し,髪は結髪されずに後ろに長く垂らしたいわゆる〈垂髪〉ヘと変化した。男性は普段でも烏帽子をかぶるようになったので,身分の高い者は髪の先を多く出さなかったが,低い者は髪の先を多く出した。鎌倉・室町時代になると,一般庶民は後ろに束ね,元結などで一,二カ所結んだり,後ろで丸く曲げた〈玉結〉に結う者も現れた。武士階級には,髪を剃る風習がおこった。これは戦乱の時期のみであったが,戦乱が長く続いたためついに常習となった。

 安土・桃山時代以降の女性の髪型は,徐々に結い上げられるようになった。中国女性の髷の模倣といわれる〈唐輪髷〉や,それから変化した〈兵庫髷〉が生まれた。男性の髪型は,〈茶筅髷〉や〈若衆髷〉などに結われた。

 江戸初期は,公家や武家階級の女性たちは引き続いて〈垂髪〉だったが,女歌舞伎や遊女などが〈兵庫髷〉や〈島田髷〉〈勝山髷〉などを結い始め,やがてそれが一般庶民にまで及んでいった。江戸中期はいわゆる日本髪と呼ばれる結髪様式が生まれた。すなわち前髪・鬢・髱・髷の四つの構成要素によっていろいろなバリェーションを生み出した。地域や階級(御殿・武家・町家),未既婚,さらに職業や年齢などによって髪型が区別された。また,髱(たぼ・つと)のなかに入れる〈髱差〉(たぼさし・つとさし)という小道具が工夫され,その髱の型から〈鴎髱〉(かもめたぼ・かもめつと),〈鶺鴒髱〉(せきれいたぼ・せきれいつと)などという流行も生まれた。江戸後期になると,中期の髱に代わって鬢の張り出した髪型が流行した。針金や鯨の髭などでつくった〈鬢張〉で横に張り出した〈燈籠鬢〉(とうろうびん)が一世を風靡した。このほか,普段は笄一本でまとめた髪型で,正式なときは笄を抜けばすぐ下げ髪になる〈片はづし〉などは,御殿女中の代名詞にもなった。また,武家や町方の既婚者は〈勝山髷〉や〈笄髷〉。未婚の女性はおもに〈島田髷〉。遊女や芸者などには〈根下り島田〉や〈つぶし島田〉などが結われた。男性は武士も町人も月代(さかやき)を日常行うようになり,髷の種類も増えた。〈茶筅髷〉〈二つ折〉〈本多髷〉などの系統が生まれ,とくに〈二つ析〉には,辰松風や文金風などという形が流行した。

 1871年(明治4)に断髪令が出され,男性はザンギリ頭になった。1885年(明治18)に日本でバリカンが使用され始め,〈丸刈〉〈八分刈〉〈五分刈〉など短くすることが流行した。女性のほうは,既婚女性のあいだで〈銀杏返し〉が全盛だったが,他方,鹿鳴館時代と呼ばれ,〈夜会巻〉などの束髪が結われた。日露戦争で,旅順(りょじゅん)の二百三高地を奪取したときに流行した〈二百三高地髷〉などの〈廂髪〉は,第一次世界大戦後まで流行した。

 1920年(大正9)ころから,〈耳かくし〉や〈行方不明〉の洋髪が流行した。1933年(昭和8)ころ,それまで加熱した鏝(こて)でウェーブをつけていたものが,電熱を利用したパーマネント・ウェーブ〈電髪〉が開発され,急速に普及したが,ちょうど第二次世界大戦にかかり,自粛を余儀なくされた。戦後いち早く復活したが,1949年(昭和24)ころコールドパーマが紹介され,一,二年でコールドに代わってしまった。1958年(昭和33)ころからへアダイ(髪の毛を染めること)の流行,1970年(昭和45)ごろからピース(部分的なかつら)とウイッグ(かつら)などが流行した。1980年代はカットとブロー仕上げによるショート=ヘア・セミ=ショートヘア・ロング=ヘアとだいたい三つに分けられる。

【西洋の髪型】古代エジプトでは日光の暑熱を防ぐため,男女を問わず通気性のあるカツラを用い,そのため髪は剃ったり短くしていた。古代ギリシアでは,男性の髪は短く切るか,上向きに結われ,女性は真中で分けて,らせん状のカールを前に垂らしたり,後ろヘそのまま流したりした。古代ローマの髪型は,カールをあしらったものや三つ編など,多くはギリシアの髪型に強く影響を受けていた。

 中世紀と呼ばれる暗黒時代は,大まかに476年のローマ帝国の終局から,イタリアでは15世紀の初め,フランスとイギリスでは15世紀の終わりまでをいう。この時代は,キリスト教が大きな力で一般民衆の上にのしかかり,髪型にも大きな発言力を有していた。男性の髪は長いのが禁止されたため,一般的にも短くなった。また,女性の髪は,中央で分けて二つ編みにして胸の上に垂らしたり,あるいは編み毛を美しいリボンで巻いたりする方法が流行った。13世紀ころから,頭の装飾が自由になり大袈裟になった。この傾向は,さらに15世紀になると極端に発展し,髪をすっぽりと包む,装飾的な帽子〈エナン〉が流行した。

 16世紀に入ると,イタリアからおこったルネサンス運動が,北欧やイギリス・スペインなどにも広がっていった。男性の髪型は,あいかわらず短いのが流行していたが,女性は,複雑な編み毛を使う方法から,髪を短く刈込んでカールさせ,顔を引き立てる方法や,髪をアップにして薄布ですっぼりと包み込んでしまうなどの変化があった。

 17世紀の女性のヘアスタイルは,額の生え際にカールをつくって縁飾りのようにし,上に高くもり上げた毛を後ろでまとめ,両横にカールをあしらった型である。男性のあいだではカツラが流行し,フランスを中心に全盛をきわめた。これはルイ13世が若いときから禿げていたため,カツラをつけなければならなかったからである。

 18世紀に入ると,誇張された装飾的なヘアスタイルは廃れ,髪型は小ぶりになり,カツラにふりかける髪粉が流行した。18世紀の初め,ルイ15世の愛妾の一人であったポンパドゥールが好んでした前髪を高くもり上げる髪型は,ポンパドゥール=スタイルと呼ばれた。ルイ16世時代になると,髷の高さが顔の二,三倍もあるものや,船や馬車,ミニチュアを頭にのせた奇抜な髪型が流行した。これは王妃マリー=アントアネットの結髪飾レオナールによって創り出されたものである。18世紀末のフランス革命によって,ヨーロッパ風俗は一変した。女性の髪も一般的に短くなり,帽子やリボンなどで簡単にまとめる傾向が強くなった。男性の髪も短くなり,内巻きにしたり,耳のあたりで大きく巻き毛にしたもの,あるいは長めの髪を後ろで束ね両側に巻毛をつけたものが一般的だった。19世紀に入ると,再び女性は髪をまん中で分け,多くのカールをつけた高い髪が流行したが,19世紀も半ばになると髷は小さく,カールがなくなり,まん中分けにしていた側面にウェーブを出した平たい髪が流行した。男性は耳が隠れる程度の長さに切った髪を大きくウェーブさせて,中央や左・右などと分けた簡単な髪型に変わり,もみあげが長くのばされるようになった。

 1905年にチャールズ=ネッスラは,熱とアルカリによるパーマネント・ウェーブ法を完成した。第一次世界大戦(1914〜1918)が起きると,男性に代わって多くの女性が働くようになり,ヘア・スタイルもその環境に応じた髪型になった。ボーイッシュ=ボブとか,刈りあげスタイルと呼ぶ髪型が生まれ,パーマネントが流行り出した。1920年代は,ショートスカートとショート=ヘアの時代で,1930年代になると,女性は女性らしくという思想から髪もスカートも長めになり,1936年(昭和11)にはイギリス人のJ.B.スピークスによって,コールド・パーマネント=ウェーブが紹介された。1940年代ほハリウッドが髪型の流行に影響を及ぼし,1950年代には,ヘアダイやカラースプレーの開発などもあって,1970年代のヘア=スタイルは変化に富んだ髪型となっていった。

〔参考文献〕高橋雅夫編『髪』1973,NOW企画

『江馬務著作集』第4巻,1976,中央公論社

リチャード=コーソン著,藤田順子訳『西洋髪形図鑑』1976,女性モード社

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